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中津大神宮

なかつだいじんぐう
中津市二ノ丁1273-1 日豊本線 中津駅から徒歩15分
中津大神宮の店舗画像1 中津大神宮の店舗画像2 中津大神宮の店舗画像3

『豊前の国のお伊勢様』と称される中津大神宮

基本情報

神社御名称
中津大神宮
鎮座地
(住所)
〒871-0050
大分県中津市二ノ丁1273-1
アクセス
日豊本線 中津駅から徒歩15分
駐車場
あり
電話番号
電話で予約問合わせ 0979-22-0523
※お問合わせの際はMy神社を見たとお伝えになるとスムーズです。
公式サイト
http://nakatsudaijinguu.jp/about.html

神社詳細情報

【中津大神宮・中津神社について】
中津大神宮・中津神社は中津城趾の公園地内にある神社です。中津大神宮は、伊勢の神宮の大神様の御分霊を奉斎し、『豊前の国のお伊勢様』として親しまれています。また、中津神社は、松の御殿跡に鎮座しています。夏には、中津を代表するお祭りのひとつである中津祇園祭が執り行われます。

『御神徳』
八百万の神様の中でも最高神と仰がれる天照皇大神様は、万物を育む「太陽」にも例えられ、その御神徳は、開運招福・家内安全・安産・病気平癒など広大無辺です。また、豊受大神様は、農耕の神、衣食住の神、あらゆる産業の神といわれておりますので、五穀豊穣・商売繁盛・諸産業繁栄・交通安全など、その御神徳は多岐にわたります。

『御社殿』
御本殿は伊勢の神宮と同じ、神明造りです。奉拝殿は、勇壮、かつ豪壮にして、近郷では珍しく妻入り縦長型の大型拝殿です。 内部は、上・中・下三段の間を設け、明治の日本を代表する書道家、宮小路康文謹書の『大哉神徳』の大扁額が掲げられています。 また、格天井には、創建当時の崇敬者等の手による天井絵の二百十六枚もの書画は、創建当時の崇敬者により奉納されたものです。

【中津神社】
『由緒』
中津神社は、中津大神宮の南西に隣接し、中津城本丸下段の松の御殿跡にご鎮座しております。 明治16年、六所神社・丸山神社(義氏社)・稲荷神社・蛭子神社・八幡大江神社のご分霊を合祀し、中津神社と称し、鎮祭されました。
流造りの本殿・拝殿・神輿庫等があり、公園地の入り口には石造りの大鳥居があります。7月に斎行される例祭は、中津祇園と称し、大分県指定無形民俗文化財となっております。御神輿と祇園車と呼ばれる漆塗りの華麗な山車7台が町々をまわり、辻々では祇園車の上で踊り等が披露され、夜は境内で勇壮な「練り込み」が行われます。中津市を代表する祭りのひとつとして氏子はもとより、市内外より多くの参拝者で賑わいます。

『御祭神』
素盞鳴尊
応神天皇
仁徳天皇
ほか十三柱

『松の御殿』
江戸時代の参勤交代や江戸藩邸定住などの諸緩和令により、江戸に置かれていた大名の妻子は帰国を許されるようになりました。 そこで、江戸藩邸より帰郷する諸姫君を住まわせるために、1863年に松の御殿が建築されました。 しかし、その後、西南の役に参戦する中津隊の襲撃にあい、松の御殿は1877年に焼失してしまいました。
ご由緒
中津大神宮は、明治十四年、伊勢の神宮の大神様の御分霊を奉迎鎮祭し、神宮豊前教会として中津城址に御鎮座しました。
創建時は、豊前の国(企救郡・田川郡・京都郡・仲津郡・築城郡・上毛郡・下毛郡・宇佐郡)の方々に 伊勢神宮の神札(神宮大麻)と神宮暦を頒布しておりました。 その後、神宮教、神宮奉斎会と改称の後、 昭和二十一年、『中津大神宮』と改称され、今日に至っております。 『豊前の国のお伊勢様』と親しまれ、地域の方々はもとより、多くの人々の心のよりどころとして、崇敬を集めています。
御祭神
・天照大御神(あまてらすおおみかみ)
伊勢神宮内宮の祭神。伊勢神宮内宮の神様で、皇室の御祖神、日本人の総氏神様
・豊受大御神(とようけのおおみかみ)
伊勢神宮外宮の祭神。伊勢神宮外宮の神様で、農業・諸産業・衣食住の守護神
・倭姫命(やまとひめのみこと)
天照大御神の御杖代(みつえしろ)
・天宇豆売命(あめのうずめのみこと)
芸能・芸術の神。芸能、芸術の神様
創建
明治十四年
ご利益
子授安産 厄払い 交通安全
お守り・おみくじ
やっている
御朱印
やっている
供養・
お焚き上げ
やっていない
祈願・お祓い
七五三 厄払い 安産祈願 お宮参り 結婚式 車・交通安全
各種初穂料
(ご祈祷料)
併設する施設
・城井神社
黒田氏より中津城内で謀殺された城井谷城主の宇都宮鎮房公をお祀りしています。
・扇城神社
宇都宮鎮房公の従臣45柱をお祀りしています。平成26年御祭神末裔有志により、屋久杉を使用して新しく造替されました。
・金刀比羅宮
漁業や航海など海上の安全を守ってくれる海の神様をお祀りしています。大漁祈願を願って欅の一刀彫の鯛神輿が奉納されています。
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