公式

加藤神社

かとうじんじゃ
熊本市中央区本丸2-1 JR熊本駅から路面電車に乗り「熊本城市役所前」下車。徒歩9分
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熊本城城内に鎮座する加藤神社は熊本発展の礎を築かれたセイショコさん(加藤清正公)をお祀りする神社です

基本情報

神社御名称
加藤神社
鎮座地
(住所)
〒860-0002
熊本県熊本市中央区本丸2-1
アクセス
JR熊本駅から路面電車に乗り「熊本城市役所前」下車。徒歩9分
駐車場
あり (※駐車場は境内に止められます。 多いときには城内駐車場または周辺の駐車場をご利用ください。)
電話番号
電話で予約問合わせ 0963527316
※お問合わせの際はMy神社を見たとお伝えになるとスムーズです。
公式サイト
http://www.kato-jinja.or.jp/
感染症対策
◎ご参拝・ご祈願・授与所など通常どおり対応しております。
◎神社職員はマスクを着用し対応しております。
◎ご祈願はをお受けいただく拝殿内は、通気性の確保のためすべての窓・扉を開放しております。
◎手水舎は閉鎖し、消毒液でのお清めをお願いしております。
◎各所にアルコール消毒液を設置しております。
◎お昼前の時間帯(10:30頃~13:00頃)は、ご祈願が集中する時間帯です。
午前中の8時~9時台、午後は14:00以降のお時間が比較的混雑は避けられるかと存じます。

神社詳細情報

加藤神社は、皆様もよくご存知の通り、加藤清正公【永禄五年(1562)~慶長十六年(1611)】を主祭神に、また、陪神として清正公の亡き後殉死された、大木兼能・韓人金官の両公を祀る肥後の総鎮護の神として、県の内外の方々より仰がれる神社であります。

清正公は申すまでもなく戦国時代の智仁勇兼備の模範的武将として、また、熊本に於ては、日本三名城の一つである熊本城の築城と、それにはじまるところの富国安民の国づくり政策を推し進められた方であります。それは、己をすてての民草を思う心からなるところの全県下に亘る土木・治水工事をはじめ、干拓・開墾、それに交通の便の為の街道づくり、焼物等幾多の国の発展の礎となる産業の奨励保護、学問の奨励・文化の開拓等と一つ一つ列挙すれば限りない程の偉業であります。それに武将としての清正公は、単なる勇しいばかりの武将でなくして、常に大義名分を重んじられると共に、上には忠と義を以って、下には慈悲と情を以ってあたられた方であられます。

この様に、清正公の五十年の人生は、実に至誠にして高潔なる人格者であり、いつの時代に於ても尊崇敬慕されるにふさわしい理想的な日本人であられ、熊本県民にとっては、熊本の発展の礎となる有形無形の役割を果された大恩人であられます。このようなことから、熊本の人たちは、清正公逝去後より今日に至るまで、我が先祖を拝むごとく素直な心で仰ぎ奉ってまいりました。

『熊本城近望の名所』
境内からの熊本城の静観は、近望の名所として雑誌等に掲載される程に有名であり、結婚式の前撮写真の最高のロケーションとなっており、また、カメラマンの絶好の撮影場所となっています。

『太鼓橋』
清正公が文禄の役の記念として持ち帰られたものであり、帰国後に於ける橋づくりの原型とされたものであります。

『大手水鉢』
熊本三手水鉢と言われ、清正公の重臣大木邸使用のものです。

『清正公お手植えの樹』
この銀杏の樹は、慶長六年(西暦1601年)より慶長十二年の熊本城築城の際、大天守前の銀杏と共に、加藤清正公がお手植えされたものと伝えられています。
ご由緒
慶応 四年  熊本藩主細川韻邦公の弟長岡護美公の建議により明治元年
       朝廷より神祭仰出され、浄池廟を神道儀式にて守護する。
明治 四年  神仏分離の際熊本城内に神宇を創建し錦山神社と公称する。同年神祗官を経て大木兼能・韓人金官公の両霊を合祀する。
明治 七年  明治六年に熊本鎮台が置かれ、城内が悉く陸軍用地に編入された為に、京町台に改築遷座奉祀する。
明治 八年  社格を県社に列せられる。(昭和二十一年社格制度が廃止)
明治 十年  西南の役に際し、社域は恰も交戦の衝路となり手水鉢以外建物悉く焼失する。(ご神体は事前に健軍神社に移し奉護する)
明治 十一年  陸軍中佐乃木希典氏西南の役戦勝報賽の参拝をされ祭文を奏上される。(直筆の祭文は御神宝として所蔵)
明治 十七年 社殿再建に着手し、十九年に竣工正遷宮する。
明治四十二年 清正公三百年祭を斎行し、社号を加藤神社と改称する。
       同年閑院宮殿下の御参拝あり幣帛料を供進される。
       同年陸軍大将乃木希典氏より太刀一振薙刀一本献納される。
明治四十四年 伏見宮殿下の御参拝あり。
       同年米領ハワイ在留民の懇請により加藤神社を創建する。
大正 三年  朝鮮京城府龍山有志者の懇請により加藤神社を創建する。
昭和 六年  昭和天皇の勅使として侍従山県公爵が幣帛料を下賜される。
昭和三十七年 永年の熊本城内遷宮の宿願叶い現在地に遷宮する。
御祭神
主祭神
加藤清正公

陪神
大木兼能公
韓人金官公

加藤清正公【永禄五年(1562)~慶長十六年(1611)】 は、 戦国時代の智仁勇兼備の模範的武将として、また、熊本に於ては、日本三名城・日本三堅城の一つである熊本城の築城と、それにははじまるところの富国安民の国づくり政策を推し進められた方であります。
創建
慶応四年
ご利益
病気平癒 交通安全 商売繁盛 家内安全 学業成就
崇敬会
「加藤神社崇敬会」は昭和56年に、会員相互の親睦と清正公のご神徳の昂揚や明るい社会づくりに寄与することなどを目的として発会しました。これまで神社の護持運営や清正公まつりなど様々な諸祭事に物心両面からお支え頂いて参りました。物故会員を含め会員の皆様には心より感謝申し上げます。
 昭和から平成そして令和と時代も移り変わり、約40年の時を経た中で、物価も大きく変わり、消費税増税、郵送料なども上がるなど、会の維持運営のために発会以来据え置いてきました会費の改定を考えなくてはならなくなってきております。出費多端の折、誠に恐縮ですが令和2年4月1日より下記の通り改定しますことを、どうかご理解いただきご協力賜りますよう何卒よろしくお願いいたします。

【会費について】
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また社報の送付・年末の神札無料授与・崇敬者行事や大祭への案内などさせていただきます。
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