公式

談山神社

たんざんじんじゃ
桜井市多武峰319 JR桜井駅南口より談山神社行、多武峰行のバスで約25分
談山神社の店舗画像1 談山神社の店舗画像2

奈良県桜井市多武峰にある「談山神社」。春は桜、秋は紅葉の名所として知られています。

基本情報

神社御名称
談山神社
鎮座地
(住所)
〒633-0032
奈良県桜井市多武峰319
アクセス
JR桜井駅南口より談山神社行、多武峰行のバスで約25分
駐車場
あり (約200台(普通自動車:無料、大型・中型以上:2000円/台))
電話番号
電話で予約問合わせ 0744-49-0001
※お問合わせの際はMy神社を見たとお伝えになるとスムーズです。
公式サイト
http://www.tanzan.or.jp/
開門時間
08:30〜17:00 (最終受付は16時30分です)

神社詳細情報

【御祭神 藤原鎌足公】

舒明・皇極二代の天皇の世、蘇我蝦夷と入鹿親子の勢力は極まって、国の政治をほしいままにしていました。 この時、中臣鎌子(後の藤原鎌足公)は強い志を抱いて、国家の正しいあり方を考えていました。

たまたま飛鳥の法興寺(今の飛鳥寺)で蹴鞠会(けまりえ)があったとき、 聡明な皇太子として知られていた中大兄皇子(後の天智天皇)にまみえることができ、 西暦645年の5月、二人は多武峰(とうのみね)の山中に登って、「大化改新」の談合を行いました。 後にこの山を「談い山」「談所ヶ森」と呼び、談山神社の社号の起こりとなりました。

ここに鎌足公は真の日本国を発想し、日本国が世界に誇る国家となるため、一生涯を国政に尽くしました。 天智天皇8年(669)10月、鎌足公の病が重いことを知った天智天皇は、みずから病床を見舞い、 大織冠(たいしょくかん)を授けて内大臣に任じ、藤原の姓を賜りました。 藤原の姓はここに始まります。

足公の没後、長男の定慧和尚は、留学中の唐より帰国、父の由縁深い多武峰に墓を移し、十三重塔を建立しました。 大宝元年(701)には神殿が創建され、御神像をお祭りして今日に至ります。

【談山神社の見所】

春は桜、秋は紅葉が見所です。

また、十三重塔や談山神社本殿は重要文化財となっており、歴史を感じることができます。
ご由緒
舒明・皇極二代の天皇の世、蘇我蝦夷と入鹿親子の勢力は極まって、国の政治をほしいままにしていました。 この時、中臣鎌子(後の藤原鎌足公)は強い志を抱いて、国家の正しいあり方を考えていました。

たまたま飛鳥の法興寺(今の飛鳥寺)で蹴鞠会(けまりえ)があったとき、 聡明な皇太子として知られていた中大兄皇子(後の天智天皇)にまみえることができ、 西暦645年の5月、二人は多武峰(とうのみね)の山中に登って、「大化改新」の談合を行いました。 後にこの山を「談い山」「談所ヶ森」と呼び、談山神社の社号の起こりとなりました。

ここに鎌足公は真の日本国を発想し、日本国が世界に誇る国家となるため、一生涯を国政に尽くしました。 天智天皇8年(669)10月、鎌足公の病が重いことを知った天智天皇は、みずから病床を見舞い、 大織冠(たいしょくかん)を授けて内大臣に任じ、藤原の姓を賜りました。 藤原の姓はここに始まります。

足公の没後、長男の定慧和尚は、留学中の唐より帰国、父の由縁深い多武峰に墓を移し、十三重塔を建立しました。 大宝元年(701)には神殿が創建され、御神像をお祭りして今日に至ります。
御祭神
藤原鎌足公
お守り・おみくじ
やっている
御朱印
やっている
供養・
お焚き上げ
やっていない
祈願・お祓い
七五三 神葬祭 その他
各種初穂料
(ご祈祷料)
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