櫻山八幡宮

ひだはちまんぐう
高山市桜町178 高山本線「高山駅」から約1.3Kmです。(徒歩20分)
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国指定重要無形民俗文化財に選ばれている『秋の高山祭』

基本情報

神社御名称
櫻山八幡宮
鎮座地
(住所)
〒506-0858
岐阜県高山市桜町178
アクセス
高山本線「高山駅」から約1.3Kmです。(徒歩20分)
駐車場
あり
電話番号
電話番号を表示 0577-32-0240
※お問合わせの際はMy神社を見たとお伝えになるとスムーズです。
公式サイト
http://www.hidahachimangu.jp/index.html

神社詳細情報

【他社に類例のない桜山八幡宮のみの格調高い祭】
「祭」とは一体何であろうか。現今隆盛を極めている祭について、じっくり考えたことがあろうか。単なるイベントととらえたり、あるいは慣習のままに行われたりしているのが現状ではなかろうか。

祭は、祈りに始まり、祈りの崇敬の対象として神社が生まれ、その神霊を慰めるために「神賑い」の行事として祭が創められたのである。祭は賑々(にぎにぎ)しい方がよい。人人は鎮守の神様、産土の神様の大前で努めて、競って、盛大に祭をおこなうようになった。それは、神と人との饗宴であり、人と人との交流の場、庶民行楽の場でもあって、時代と共に益々盛んになってきた。

【農耕の祭と同時に町民の祭として発展】
桜山八幡宮の祭、いわゆる「八幡祭」は、稔りの秋を目前にした豊作祈願の祭、あるいは収穫感謝の祭といわれてきた。世に云う「農耕祭」である。この農耕祭としての見方のほかに、八幡祭には「町民祭」としての傾向が濃厚である。城下町の整備拡大が進み、経済が発展してくると、豪商の発生を見たほか町民の民力が高まり、屋台を中心とした祭への投資が積極的に行われ、農耕の祭と同時に町民の祭として発展してきた。

また、八幡祭には別にもう一つの特色がある。それは例祭には金森国主より奉行(ぶぎょう)正副二名が特派され神事祭事を見守られたことである。いわゆる「奉行祭」で、これは桜山八幡宮に限られたことであった。この奉行祭の祭式は、飛騨が幕府の直轄となってからも続けられ、祭日には代官所が休庁となり、ご神幸の行列渡御の折は、郡代自ら幣帛(へいはく)を捧げて御神輿前に参進し参拝せられたという。これは他社に類例のない桜山八幡宮のみの格調高い祭であったことがうかがわれる。

【春の山王祭・秋の八幡祭を総称して「高山祭」と呼ぶように】
『昭和四十年代に始まる観光ブームより「秋の高山祭」と云われるように』
昭和二十六年(一九五一)、全市的規模で「高山屋台保存会」が設立され、翌年、高山祭が文化財保護法による無形文化財に選定され、春の山王祭・秋の八幡祭を総称して「高山祭」と呼ぶようになり、八幡祭は、俗に「秋の高山祭」と云われるようになった。昭和四十年代に始まる観光ブームにより一層この呼び名が広まったが、われわれ八幡氏子にとっては「八幡祭」と呼ぶのが親しみやすい。

一部の解説書に、金森城主や代官郡代が、民心安定の策として祭に眼を向けさせるため、八幡祭や山正祭等を奨励したとか、あるいは、豪商の財カを衰えさせるため祭や屋台に散財させたとか、更には、大阪方の外様大名である金森家が徳川幕府に対して平和をよそおうために祭行事を盛んにしたとか、色々うがった見方がなされているが、真実は、飛騨びとが祭好きなだけ。背景に京や江戸の文化があり、飛騨の匠(たくみ)の素質がこれに拍車を掛けたことはあっても、何百年という長い歴史のなかで発展してきた祭が、政治の力によったとは思えない。ごく自然に考えたいものである。
ご由緒
仁徳天皇の御代(377年頃)、飛騨山中に両面宿儺(りょうめんすくな)という凶族が天皇に背いて猛威を振るい人民を脅かしていた。征討将軍の勅命(ちょくめい)を受けた難波根子武振熊命(なにわのねこたけふるくまのみこと)は、官軍を率いて飛騨に入った(日本書紀)。武振熊命が、当時の先帝応神天皇の御尊霊を奉祀し、戦勝祈願をこの桜山の神域で行ったのが創祀と伝えられる。

その後、聖武天皇の御代(8世紀)諸国に八幡信仰が栄え、往古は数百本の桜樹が花を競い境内はいっそう整えられたとも言われる。

大永年間(室町時代、16世紀)京都の石清水八幡宮より勘請したが、戦乱の時代が続き境内は一時荒廃した。

元和9年(1623)高山領主金森重頼は、江名子川から発見された御神像を八幡神と奉安し、社殿を再興し神領地を寄進した。以後高山北部を氏子と定め、例祭には奉行を派遣して神事を管理した(奉行祭)
飛騨が天領となり、氏子を初め代々の郡代は篤く崇敬して奉行祭を継承し境内を整えた。

神仏混淆の一時期、別当は八幡山長久寺であったが、明治の神仏分離により長久寺を離れる。明治8年高山の大火ににあい、末社秋葉神社を除きほとんど消失したが、同年33年までに境内復興が完了する。
戦後、かつて奉行祭と呼ばれた例祭(秋の高山祭)が全国に知られ参拝者は急増する。
御祭神
【主祭神】
応神天皇

【相殿】
熱田大神(あつたのおおかみ)
香椎大神(かしいのおおかみ)
ご利益
厄払い 病気平癒 交通安全 商売繁盛 家内安全 学業成就
お守り・おみくじ
やっている
御朱印
やっている
供養・
お焚き上げ
やっていない
祈願・お祓い
七五三 成人式 厄払い 安産祈願 初宮詣 結婚式 健康・病気平癒 車・交通安全 出張祭典(地鎮祭他)
各種初穂料
(ご祈祷料)
併設する施設
・櫻山参集殿
・大石段
・高山祭屋台会館・桜山日光館
・大手水石(おおてみずいし)
・絵馬殿
・二の鳥居
・一の鳥居
文化財・
宝物など
【大神輿(おおみこし)】
総重量二トン半。八角形の神輿は当地では珍しい。文化十四年(一八一七)製作の大神輿は、明治八年大火で焼失した。
明治一十年に旧式に拠って復元製作。工匠・村上民次郎、彫刻・江黒尚吉、塗・小谷正三郎、金具・野崎卯之助。
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