公式
相模原清新 氷川神社
さがみはらせいしん ひかわじんじゃ
相模原市中央区清新4-1-5 JR横浜線 相模原駅 徒歩10分/JR相模線 南橋本駅 徒歩15分
氷川神社では皆様の人生儀礼に関わるあらゆるお祭りの御奉仕を承っております。
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基本情報
神社御名称 | 相模原清新 氷川神社 |
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鎮座地 (住所) | 〒252-0216 神奈川県相模原市中央区清新4-1-5 |
アクセス | JR横浜線 相模原駅 徒歩10分/JR相模線 南橋本駅 徒歩15分 |
駐車場 | あり (数に限りがありますので、なるべくお乗り合わせの上お越し下さい。) |
電話番号 | 電話で予約問合わせ 042-771-6617 ※お問合わせの際はMy神社を見たとお伝えになるとスムーズです。 |
公式サイト | https://www.hikawa-jinjya.com/ |
開門時間 | 05:00〜22:00 (門はありません。住宅地ですので近隣のご迷惑にならぬよう御協力下さい。) |
受付時間 | 10:00 〜 16:00 |
定休日 | 年中無休 |
感染症対策 | 御祈祷は事前にご予約を頂いて、一度に御昇殿される人数を調整させて頂いております。 拝殿や控室は窓を開放し、換気に配慮致しております。また、参拝者控室に除菌液を設置致しております。御昇殿の方は御案内の前に控室の洗面所にて、石けんで手を洗ってお待ち頂きます。 御昇殿の際は、マスク着用のままで結構ですので各自ご持参下さい。 当日予約も可能な場合がございますので、お電話にてお問い合わせ下さい。TEL 042(771)6617 御殿の前に通常設置致しております鈴緒や手水舎の柄杓は、当面の間撤去させて頂きます。 |
神社詳細情報
・末社 福徳稲荷大神 弘化2年(1846)頃、今で云う相模原駅の南側辺りで狐に取り憑かれた人が多く出ました。困り果てた人々は高名な祈祷師を呼んで祈祷を頼んだところ、祈祷師は七日七夜お祈りをして狐を青い玉に変えて土甕の中に供物と共に封じ込め、境内地に穴を掘って埋め、更にその上に杉の木を植え供養したそうです。 境内の一角に竹で囲われた大きな切り株が残っており、『狐火の塚』として大切に守られています。 昭和27年に八王子のある崇敬者の枕元にこの狐が立ち、神意を得たと感じたこの方のご厚意により祠が建てられたのが始まりです。その後、昭和54年と平成7年に立て替えが行われ現在に至ります。 毎年2月11日の建国記念日に合わせて初午祭が執り行われ、当日は氏子有志らによる奉納演芸・福引きなどが行われ、一日中賑わいを見せています。 ・安産子育地蔵尊 子供の成長を願って開拓当時の人々が、弘化3年(1847)に建立したと伝えられています。爾来、南橋本の郵便局の近くにあった大きな桜の木の根元に祀られていました。横浜と津久井を結ぶ横浜街道の側だったそうです。 あるとき、子供が出来ない事に悩んでいた小山村のお百姓さんが願を掛けた ところ、無事子供を授かりすくすくと成長したので、いつの頃からか子育地蔵 と呼ばれるようになりました。当神社の境内には昭和20年ごろ移築されました。 古いお地蔵さんと並んで新しいお地蔵さんが祀られているのは、市内にすむ女性が祈願したところ結婚七年目にして子供が生まれたので、そのお礼として奉納されました。お子様の無病息災・安産を願う人々のお参りが絶えません。 ・道祖神・庚申塚 道祖神は塞の神とも呼ばれ、村境や峠道などに置かれ旅人や村人を災難・悪病から守る神様として信仰されました。 氷川神社の道祖神は安政3年(1856)の春に建てられ、村境にあって外より入り込む 疫神悪霊から安全を守る神様として崇められました。 また、この道祖神は特に子供を病気から守ると信じられており、願掛けやお礼参りのためにお米を供える風習があったようです。 庚申塚は中国の道教に伝わる信仰からくるものです。人の身体には三尸(さんし)という虫が宿っていて、凡そ二ヶ月に一度巡ってくる庚申(かのえさる)の日に、眠っている宿主の身体を抜け出し天帝に宿主の罪悪を告げるというものです。宿主の行いに依っては天帝の怒りを買い命を縮められるということで、庚申の夜には村人が寄り合い三尸が身体を抜け出さないよう、寝ないで一夜を過ごしたというものです。 砂岩を彫って設けられているため風化が著しく、今はもう朽ち果てそうになっていますが、経緯を知る地元の方々により大切にされています。 ※転倒の危険性がありますので、柵の中に入るのはご遠慮願います。 ※御予約等に関しましては直接神社にお問い合わせ下さるようお願い申しあげます。 | |
ご由緒 当地は天保14年(1843)代官 江川太郎左衛門の許可により、小山村の原清兵衛光保によって新たに開発された開墾地です。同年6月17日武蔵国南多摩郡上櫟田村(現在の八王子市)の村社氷川神社より御分霊をいただき、入植者の心のより所とされていました。当初は『いづなさま』とも呼ばれ2坪程の小さな祠に祀られていたそうです。新田開発後の安政3年(1856)7月から8月にかけて検地役人 江川太郎左衛門は手代 津田橘六、恒川左内の2名を派遣し検地鎮守社敷地許可を行いました。これにより当地は『清兵衛新田と称うべし』と言い渡されました。この時両名は石灯籠を奉納され、拝殿向かって右に恒川左内、左に津田橘六のものが据えられました。同じ年この開墾事業を成し遂げた発起人の清兵衛(隠居後改名したため実際には 嘉兵衛)は手水舎の石水盤を寄付しました。この石水盤は拝殿手前左側にあって現在も使用されています。 十数年間に亘る開墾事業に賛同し入植したのは近隣農家の次男三男で、新地を求めて入植した人達でした。明治45年、新田開発当時の入植者の苦労を忘れないために建てられた開墾記念碑の裏面には、その経緯と顕彰の言葉が綴られています。この記念碑の題字は第15代将軍 徳川慶喜公、碑文は幕府に仕えた国学者 前田香雪(夏繁)によるもので、相模原市の有形文化財に登録されています。 御本殿は、相原にあった『外の御前』と呼ばれる建物を毎夜白蛇がその一部を咥えて運ぶのを相原の氏子が見て、これは神意であろうと言うので、清兵衛新田に譲ったものであると伝承されています。 | |
御祭神 | 氷川神社の御祭神『素盞嗚尊(スサノヲノミコト)』は我が国土をはじめ数々の神様をお生みになった伊邪那岐・伊邪那美命の御子神であり、伊勢の神宮(内宮)の御祭神『天照大御神』の弟神であられます。 大神は気性の激しい直情径行の御性格で、云わば恐ろしい神様として崇められている様に、随分乱暴なところもございましたが、艱難辛苦をなされて遂に清浄な心境に到達された神様であることから、罪穢を祓い清める神様、すがすがしさそのものを表す神様として信仰されています。 多くの篤行を積み重ね、自ら犯された罪穢を身を以って贖罪されましたが、中でも水の精霊である八岐大蛇を退治された話は有名で、それによって水を司る神、即ち治水の神様として崇められ、また奇稲田姫との御成婚によって稲の豊穣の神様、農業の守り神としても祀られています。 この他、御子神の五十猛神と共に新羅国牛頭山に在り、植樹につとめられたことから山林の神として崇敬されている一方、御みずからの赤心をかけて御姉神 天照大御神と御誓約されたという古い言い伝えより、誓いの神様として商家から篤い信仰を集めています。 更に日本で初めて『八雲立つ出雲八重垣つまごみに八重垣作るその八重垣を』の和歌を作られた神として、和歌の親神とも仰がれています。 この様に、商売の神、お祓いの神、殖産の神として知られているところから、近年では年間を通じて初宮詣・交通安全・厄除け・家内安全等の御祈願をお受けになられる方が多く、氏子の方々をはじめ多くの崇敬者より崇められています。 |
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創建 | 天保14年(1843)6月17日 |
ご利益 | 子授安産 恋愛成就・縁結び 厄払い 金運 健康長寿 病気平癒 交通安全 心願成就 勝負運 商売繁盛 五穀豊穣 芸能上達 家内安全 学業成就 渡航安全 諸願成就 その他 |
崇敬会 | 氏子会入会のお誘い 氷川神社を崇敬し、家庭の安泰と地域社会の発展を祈る氏子会に入りましょう 氏子会とは、当社を氏神様として信仰される方々や、氷川神社を特に崇敬される方々により構成され、大神様の御加護のもと健やかで充実した毎日をお過ごしになられる事を目的に結ばれた氏子崇敬者の会です。 年会費:一世帯 1,000円 ※総代・世話人を通じて年末にお納め頂きます。 ※総代・世話人不在の地域または崇敬者の方々は、神社に直接お納め下さい。 |
お守り・おみくじ | やっている |
御朱印 | やっている |
供養・ お焚き上げ | やっていない |
祈願・お祓い | 七五三 成人式 厄払い 安産祈願 初宮詣 お宮参り 結婚式 年祝い・長寿祝い 出張祭典(地鎮祭他) 神葬祭 その他 |
各種初穂料 (ご祈祷料) | 安産祈願: 5,000円 〜 七五三: 5,000円 〜 成人式: 5,000円 〜 厄払い: 5,000円 〜 御祈祷初穂料は1件につき、五千円か一万円またはそれ以上にて承ります。 単独での個人祈祷は三万円以上お納め頂きます。 |
併設する施設 | 御祈祷控室(トイレ・授乳室あり) |
文化財・ 宝物など | 第15代将軍 徳川慶喜公揮毫による開墾記念碑(相模原市登録有形文化財) |
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