志波彦神社・鹽竈神社

しわひこじんじゃしおがまじんじゃ
塩竈市一森山1-1 JR仙石線 本塩釜駅より ・表参道(表坂)の石鳥居まで徒歩約15分・東参道(裏坂)の石鳥居まで徒歩7分・社務所前まで徒歩で約15分、タクシーで5分
志波彦神社・鹽竈神社の店舗画像1 志波彦神社・鹽竈神社の店舗画像2 志波彦神社・鹽竈神社の店舗画像3

鹽竈神社祈祷者待合室にベビーケアルーム(授乳室)を東北の神社で初導入。 腰かけのある完全個室なので、お気軽に授乳室やおむつ替えとしてご利用いただけます

基本情報

神社御名称
志波彦神社・鹽竈神社
鎮座地
(住所)
〒985-8510
宮城県塩竈市一森山1-1
アクセス
JR仙石線 本塩釜駅より ・表参道(表坂)の石鳥居まで徒歩約15分・東参道(裏坂)の石鳥居まで徒歩7分・社務所前まで徒歩で約15分、タクシーで5分
駐車場
あり (約350駐車可能)
電話番号
電話で予約問合わせ 022-367-1611
公式サイト
http://www.shiogamajinja.jp/about/access.html
開門時間
05:00〜18:00 (・3月~10月 午後6時まで ・11月~2月 午後5時まで)
受付時間
09:0016:30
定休日
年中無休

神社詳細情報

鹽竈神社の御祭神は別宮に主祭神たる塩土老翁神・左宮に武甕槌神・右宮に経津主神をお祀りしております。
『境内外の末社』
境内には、神明社、八幡社、住吉社、稲荷社、また市内本町にはご祭神が塩を作ることを教えられたと伝わる御釜神社・牛石藤鞭社、新浜町には和歌の名所として知られる籬島に曲木神社をお祀りしています。

『曲木神社の御由緒』
塩釜観光桟橋から出帆した出船が、左手の最初に出会う小島が、籬島である。末の緑に朱色の鳥居は詩情さえたたえている。
海に映えるこの島の姿に接すると、まるで身も心も洗われる思いがする。全て何人のおわしますかは知らねどもである。
ここに祀られるのが塩竃神社十四末社の一つ曲木(籬島明神)神社である。
鹽社(鹽竈様)の表玄関に当り、海を守り、海の瑞垣とも申すべき存在であったろうか。
【・わがせこを 都にやりて 塩竃のまがきのしまの まつぞこいしき(古今和歌集 東歌)】
【・あけくれば 籬の島を ながめつつ都恋しき 昔のみぞなく(新勅選集 源信明朝臣)】
このように塩竈の浦は、平安の昔、詩情の赴くまま歌枕として詠まれた。
曲木神社と唱えるように籬は曲木と言った。というのは太古この島を杜松の老木が覆っていた。
この木、一木ながら三つに曲がりくねって、その形は三つの島に見えたといい、曲木はここよりきたと語るのは市内吉津在住の小野初司朗氏である。
さらに氏のいうには、古今塩釜の浦辺では、鹽土翁神により諸所で製塩がはじまり、人々が集まって浦は平和に集落が出来た。
そこへ害鳥が現れた。この鳥北方は盛岡方面の蝦夷地より飛来した、食料を次から次と襲っては消えた。
このとき、鹽社祖神の鹽竈様、籬島に籠り、矢を射たところ、怪鳥の眼にささり、怪鳥は暫し湾内をくるくる廻った末、桂島に落ちた。(怪鳥の名はウトウ?とも)
桂島の神は、この矢を抜き取り替わりに自分の矢をさしておいたから、鹽竈様から出入を差し止められたという。
この二神姉弟の神とも言われ、ともに海路東北開拓に当地に来られたが、行手の山に危険を感じたか(上陸)弟神のみが先行することになり、姉神は途中の島にふみとどまったと、一連の伝承を聞かしてくれた。
桂島の人々が、鹽竈様にお参りしたとき、破魔矢を受け申さぬ習俗があるとは、籬島を取り巻く、こうした俗説に起因したものであろうか。
さて、曲木のこと松島町誌は籬は曲木であってとし、この島に曲がった木ばかりで造った社があり、曲木のお宮と呼んでいたのを後の文人が都風に籬の字を当てた。
また、別の伝説として、鹽竈様がこの島を訪れたとき、そこの人達が穴居生活で不潔な暮らしをしていたので、家を建てる術を教えた。人々は曲り木を組み合わせて住んだので「曲木神」の称号を授けたので曲木島となったと書かれている。
曲木神の祭日は八月一日で、祭祀は鹽竈神社で行っている。ご祭神は奥津彦大神、奥津姫大神の二神である。
ご由緒
・鹽竈神社の御由緒
当社は古くから東北鎮護・陸奥国一之宮として、朝廷を始め庶民の崇敬を集めて今日に至りました。
当神社創建の年代は詳らかではありませんが、平安時代初期、嵯峨天皇の御代に編纂された「弘仁式」に「鹽竈神を祭る料壱万束」と記され、厚い祭祀料を授かっていたことが知られます。つまり、奈良時代国府と鎮守府を兼ねた多賀城が当神社の西南5km余の小高い丘(現在の多賀城市市川)に設けられ、その精神的支えとなって信仰されたと考えられます。
武家社会となってからは平泉の藤原氏・鎌倉幕府の留守職であった伊沢氏、そして特に伊達氏の崇敬が厚く、歴代藩主は大神主として務めてまいりました。現在の社殿は伊達家四代綱村公から五代吉村公に亘り9年の歳月をかけ宝永元年(1704)竣工されたものです。江戸時代以降は「式年遷宮の制」が行なわれ、氏子・崇敬者各位の赤誠により平成23年には第十八回の式年遷宮本殿遷座祭が斎行されました。
平成14年12月、本殿・拝殿・四足門(唐門)・廻廊・随神門以下14棟と、石鳥居1基が、国の重要文化財の指定を受けました。

・志波彦神社の御由緒
当社はもと宮城郡岩切村(仙台市岩切)の冠川の畔に鎮座され、「延喜式」に収められている陸奥国百社の名神大社として、朝廷の尊信殊の外厚いものがありました。明治4年5月国幣中社に列格され、明治7年12月24日に鹽竈神社の別宮本殿に遷祀されました。さらに昭和7年当時の内閣に陳情請願し国費を以て御造営することとなり、昭和9年現在地に工事を起し、明治・大正・昭和三代に亘る神社建築の粋を集めて竣工し、昭和13年9月御遷座申し上げました。本殿・拝殿何れも朱黒の極彩色漆塗りで、昭和38年塩竈市の文化財に指定されました。
御祭神
鹽竈神社の御祭神は別宮に主祭神たる鹽土老翁神・左宮に武甕槌神・右宮に経津主神をお祀りしておりますが、江戸時代以前はあまり判然とせず諸説があった様です。陸奥國最大の社として中古より崇敬された神社の御祭神がはっきりしないのは奇異な感じがしますが、呼称も鹽竈宮・鹽竈明神・鹽竈六所明神・或いは三社の神など様々あった様です。そこで伊達家4代綱村公は社殿の造営に際し、当時の名だたる学者を集めて研究せしめ現在の三神とし、又現在の別宮の地にあった貴船社と只州(糺)宮は現在の仙台市泉区の古内に遷座されました。
鹽土老翁神は『古事記』『日本書紀』の海幸彦・山幸彦の説話に、釣り針を失くして困っていた山幸彦に目無籠(隙間のない籠)の船を与えワダツミの宮へ案内した事で有名ですが、一方博識の神としても登場しています。
武甕槌神(茨城県鹿島神宮主祭神)・経津主神(千葉県香取神宮主祭神)は共に高天の原随一の武の神として国譲りに登場し、国土平定の業をなした神です。社伝によれば、東北地方を平定する役目を担った鹿島・香取の神を道案内されたのが鹽土老翁神の神であり、一説には神々は海路を亘り、七ヶ浜町花渕浜(現在の鼻節神社付近)からこの地に上陸されたと言われ、又鹽土老翁神はシャチに乗って海路を渡ってきたと言う伝えもあります。
やがて鹿島・香取の神は役目を果たし元の宮へ戻りましたが、鹽土老翁神は塩釜の地に残り、人々に製塩法を教えたとされています。塩竈の地名の起こりともなっております。
ご利益
交通安全 勝負運 五穀豊穣
崇敬会
・氏子崇敬会
御神徳の発揚に奉賛し奉り、国家の安泰と氏子崇敬会の平和安全並びに家業繁栄を祈願し、延いては一般社会の福祉増進に寄与している。

大祭を春秋年二回斎行。
春:5月第2日曜日
秋:9月29日志波彦神社遷座記念祭にあわせて。
お守り・おみくじ
やっている
御朱印
やっている
供養・
お焚き上げ
やっていない
祈願・お祓い
七五三 厄除 安産祈願 初宮詣 結婚式 出張祭典(地鎮祭他)
各種初穂料
(ご祈祷料)
七五三: 5,000円 〜
・祈願料(個人、団体一件につき)
5,000円、8,000円、10,000円、20,000円(但、神殿清祓は10,000円)
※30,000円以上の芳志で神楽祈祷を御奉仕致します
併設する施設
鹽竈神社博物館
ベビーケアルーム(授乳室)
腰かけのある完全個室です。
授乳室、おむつ替えとしてご利用ください(写真2枚目)
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