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南部一之宮 櫛引八幡宮

なんぶいちのみや くしびきはちまんぐう
八戸市八幡字八幡丁3 八戸駅から車で10分
南部一之宮 櫛引八幡宮の店舗画像1 南部一之宮 櫛引八幡宮の店舗画像2 南部一之宮 櫛引八幡宮の店舗画像3

南部藩総鎮守、 櫛引八幡宮。 亭亭と空を差す 杉に護られた 静寂の空間で、 ひとびとの祈りに 寄り添い、佇む。

基本情報

神社御名称
南部一之宮 櫛引八幡宮
鎮座地
(住所)
〒039-1105
青森県八戸市八幡字八幡丁3
アクセス
八戸駅から車で10分
駐車場
あり
電話番号
電話で予約問合わせ 0178-27-3053
※お問合わせの際はMy神社を見たとお伝えになるとスムーズです。
公式サイト
http://www.kushihikihachimangu.com
受付時間
08:3017:30
感染症対策
【櫛引八幡宮の感染症対策】
・密室空間、密集場所、密接場面の3つの密を解消しています
・境内各所にアルコール消毒を設置しております
・神職、巫女は全員マスクを着用しております
・ご祈祷、御朱印受付への飛沫防止カーテンを設置済みです
・ご祈祷を受けられる方はマスク着用いただきます。その際にマスクをお忘れの方にはマスクを差し上げております。
・ご参拝の際は、必ず検温してください。37.5度以上の熱がある場合は参拝をお控えください

神社詳細情報

・本殿
御祭神:誉田別尊(ほんだわけのみこと):八幡大神(はちまんおおかみ)
江戸時代/三間社流造・銅板葺  慶安元年(1648年)建立【国指定重要文化財】
「南部一之宮」にふさわしく、当時の規矩にかなった正規の構造手法が認められるものであり、その構えは壮大でかつ優美であり、屋根の流れの曲線の美しさは特筆に値する。
江戸時代前期のものであるが、桃山時代の遺風が察しられる名建築である。

・拝殿
昭和59年(1984年)竣工
現在の拝殿は昭和59年11月に竣工したものである。

・末社『春日社』
御祭神:天津児屋根神(あまつこやねのかみ)
江戸時代/一間社春日造・銅板葺  元文4年(1739年)勧請 【国指定重要文化財】
本殿に向かって左側、先の神明宮と対称の位置に奉られている小さな社殿である。
小規模ながらも正規の一間社春日造の形式である。

・松福稲荷神社(しょうふくいなりじんじゃ)
御祭神 倉稲霊神(うがのみたまのかみ)
京都の伏見稲荷大社より御分霊を勧請し、もとは松下ライフエレクトロニクス株式会社(旧ナショナル社)に祀られていたが、平成十七年に会社が仙台に統合される為に、当宮に遷された。

・悶破稲荷神社(もんぱいなりじんじゃ)
御祭神 倉稲霊神(うがのみたまのかみ)
神名の稲荷は、いなりの音「生成り」から来るとも云われ御神徳は稲のみならず、全ての植物はては万物の成長・商売繁盛・社業繁栄・発展である。
また、この悶破稲荷神社の御神徳として、その神社名の通り心の悶々とした苦しみや、悩み迷いを打ち破り、払って下さると云われます。

・末社『神明宮』
御祭神:天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
江戸時代/一間社流造・銅板葺  元文4年(1739年)勧請 【国指定重要文化財】
本殿に向かって右側に奉られており、小さなものではあるがその形がよく整っており、見た目にも美しい社殿である。
ここに勧請されたのが元文4年(1739)と伝えており、先に見た本殿や拝殿などよりも新しい手法が見られるが、今では、八幡宮社殿として一体のものである。

・合祀殿
大国主神(おおくにぬしのかみ)をはじめ、十五柱の神々をあわせてお祀りしております。

・長所(旧拝殿)
江戸時代/桁行七間・向拝一間・入母屋造・銅板葺 慶安元年(1648年)建立 【国指定重要文化財】
舟肘木に一軒の疎垂木という簡素な造りの拝殿ではあったが、本殿に対しても建て揚げが低く落ち着いた感じで、開口部の風土性豊かな構造ともあいまって、実に、好感のもてる建物であった。
移築後も旧姿をよくとどめており、本殿と一体のものとしてあった時の形が偲ばれるものである。

・正門
江戸時代/四脚門・切妻造・銅板葺  慶安元年(1648年)建立 【国指定重要文化財】
四脚門は、平屋の門のなかで最も格式の高い形式であり、「南部一之宮」の正門として、相応しい構造形式を取っているものである。正門は、切石の礎石を置き、木製の礎盤と唐居敷の上に建っている。
ご由緒
櫛引八幡宮は南部家初代光行公の草創と伝えられる。

南部家文書(八戸根城南部家・『八戸家系』、『八戸家傳記』)によると、 文治5年平泉合戦(1189年)に戦功をたてた光行公は源頼朝から糠部郡(ぬかのぶのこおり、 岩手県北部・青森県東部の広大な地域)を拝領し建久2年(1191年)に入部、 後に家士を遣わして甲斐南部郷の八幡宮御神体を奉持せしめ、霊地をトして櫛引村に 宮社を造営し武運長久を祈ったという。
「櫛引八幡宮縁起旧記」によれば、このとき遣わされた家臣とは津島平次郎で、 平次郎は宮地が決まるまで六戸の瀧ノ沢村に仮宮を営んで奉祭した。
また、甲斐から別当僧の 宥鑁(ゆうばん)が供奉し、別当普門院の祖となったという。
津島平次郎の子孫に当たる 滝沢家は八幡宮の鍵守として、普門院とともに代々祭礼を取り仕切った。
また、『櫛引八幡縁起』には、櫛引村に大同年間(806~810)に坂上田村麻呂が祀った 八幡宮の小社があり、同神同体であるので瀧ノ沢の仮宮からこの地に遷座したとある。
以後、 櫛引八幡宮と称し、南部の総鎮守となったのである。
御祭神
【御本社・御祭神】
八幡大神 (ハチマンオオカミ)-別奉称 誉田別尊 (ホンダワケノミコト)-

【脇宮御祭神】
天照皇大神 (アマテラススメオオカミ) 天津児屋根神 (アマツコヤネノカミ)

【未社・摂社御祭神】
大国主神 (オオクニヌシノカミ)
建御名方神 (タケミナカタノカミ)
惶根神 (カシコネノカミ)
伊弉冉神 (イザナミノカミ)
水波能賣神 (ミズハノメノカミ)
白山比神 (シラヤマヒメノカミ)
素盞雄神 (スサノオノカミ)
猿田彦神 (サルタヒコノカミ)
倉稲霊神 (ウガノミタマノカミ)
武甕槌神 (タケミカヅチノカミ)
伊弉諾神 (イザナギノカミ)
鳴雷神 (ナルイカツチノカミ)
生保馬神 (イクヤスマノカミ)
泥土煮神 (ウヒジニノカミ)
火産霊神 (ホムスビノカミ)
大山祗神 (オオヤマズミノカミ)
ご利益
恋愛成就・縁結び 金運 勝負運 商売繁盛 五穀豊穣 渡航安全
お守り・おみくじ
やっている
御朱印
やっている
供養・
お焚き上げ
やっている
祈願・お祓い
七五三 厄払い 安産祈願 初宮詣 年祝い・長寿祝い 出張祭典(地鎮祭他)
各種初穂料
(ご祈祷料)
併設する施設
・国宝館
国宝 赤糸 威 鎧兜大袖付 附唐櫃ほか重要文化財・県重宝・市文化財など計25点の文化財を収蔵・展示しております。
文化財・
宝物など
・国宝 赤糸威鎧 (あかいとおどしよろい)
・国宝 白糸威褄取鎧 (しろいとおどしつまどりよろい)
・県重宝 舞楽面 陵王 (ぶがくめん りょうおう)
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