公式

誉田八幡宮

こんだはちまんぐう
羽曳野市誉田3丁目-2-8 【お車】藤井寺ICから15分 【電車】近鉄南大阪線 古市駅下車 徒歩10分
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由緒深き安産守護神 誉田八幡宮

基本情報

神社御名称
誉田八幡宮
鎮座地
(住所)
〒583-0857
大阪府羽曳野市誉田3丁目-2-8
アクセス
【お車】藤井寺ICから15分 【電車】近鉄南大阪線 古市駅下車 徒歩10分
駐車場
あり
電話番号
電話で予約問合わせ 072-956-0635
※お問合わせの際はMy神社を見たとお伝えになるとスムーズです。
公式サイト
https://kondahachimangu.com/

神社詳細情報

誉田八幡宮は、応神天皇を主祭神とし、古くから応神陵の近くにあって、御陵祭祀を司ってきました。毎年9月の大祭には神輿が、境内にある太鼓橋を渡って御陵の後円部頂上にあった御堂までお渡りして、盛大な祭礼が続けられてきました。

 応神天皇陵と誉田宮のゆかりの深さを物語る神事として知られています。応神天皇の諱(いみな)は、誉田別尊(ほんだわけのみこと)と呼ばれ、現在の羽曳野市誉田にゆかりがあるとされています。

 天皇が幼少の頃に居住されていたところであり、この地の誉田真若王の娘、仲津姫を皇后にされたと古記に伝えています。
 応神天皇は、皇室系図である「帝記」や宮廷物語である「旧辞」あるいは「古事記」・「百済記」などによって4世紀後半に実在した人であると考えられています。
 応神天皇の諱(いみな)は、誉田別尊(ほんだわけのみこと)と呼ばれ、現在の羽曳野市誉田にゆかりがあるとされています。
 
 天皇が幼少の頃に居住されていたところであり、この地の誉田真若王の娘、仲津姫を皇后にされたと古記に伝えています。
 応神天皇は、皇室系図である「帝記」や宮廷物語である「旧辞」あるいは「古事記」・「百済記」などによって4世紀後半に実在した人であると考えられています。

 大和川、石川の流れる河内地方は、4世紀後半には日本と朝鮮半島と関係の緊張が高まるにつれて、瀬戸内交通の重要性が加わり、一層開発が進んだと考えられます。この機に有力氏族らに支えられた応神天皇は、河内地方を支配して、ここに新王朝を築かれたと思われます。

 秦の始皇帝陵などと共に世界でも屈指の大帝王墓-応神陵・仁徳陵-をはじめ、倭の五王時代の天皇陵はほとんどが、この河内、和泉地方につくられています。
 応神天皇の崩御に際して御陵がこの誉田の地に築かれたのは、このように天皇ゆかりの地であったことと、4・5世紀代におけるこの地方が、重要な位置を占めていた地理的環境によるものであると考えられます。

 また、応神天皇の頃は、大陸、半島からいろいろな文物が導入されて来ました。
中でも当宮に伝わる、応神天皇陵陪塚丸山古墳出土の馬具(金銅製透彫鞍金具)に象徴されるように、当時の金工、木工、革工などの秀れた工芸技術は、後世日本文化の基礎を築くものであったと云えるでしょう。

 さて、応神天皇陵と誉田八幡宮のゆかりについては、「誉田宗廟縁起」によると、欽明天皇の勅願によって社殿が建立されたと記すように、かなり古くからのことであったと考えられます。
とくに、この誉田宮をはじめとして、月の岡、日の岡古墳のある若宮八幡宮(福岡県)、各地の大型前方後円墳と神社の縁起や、その関係はさらに古くからのことのようで、今後解明されねばならない問題を秘めているようです。
ご由緒
縁起はまず応神天皇御陵の創草の記事からはじまります。
「天皇が崩御されたことを伝え聞いた人々は、鋤鍬を荷って雲霞のように集まって御陵を築いた。これが応神陵である。

ところが或る日竜馬が現れて、その歩いた蹄の跡をもって境界とした。」
「また勅令によって全国から奉仕者が参集して御陵を警固するようになった。」ことを述べています。次いで誉田八幡宮建立の由来にうつり、「欽明天皇の勅願によって御陵前に社殿を建立し、八幡大菩薩を勧請した。

そのとき天皇は参籠されたが、夜中に八幡大菩薩が出現し奇瑞のことがあったので、天皇はいよいよ深く信仰になり、この日、二月十五日を吉例とされ、歴代天皇は一代に一度は誉田八幡宮に行幸すべきことを定められるに至った。」

続いて聖徳太子参籠のこと、弘法大師参籠のこと、行基の参籠、菅原道真の参籠など、創草期における霊現、奇特のことがらが綴られています。
そして、記録的な記事にうつり、後冷泉院のとき、社殿を南へ一丁ばかり移転し、新たに社殿を造営されたこと、永承六年二月十五日後冷泉院の行幸、治暦二年三月二十八日社殿が鳴動し光を発する異変があり、それ以来朝廷では御占の神事が行われることとなったことや、長承元年十一月の当宮ゆかりの神鳩の故事、社紋の巴紋についての因縁を述べています。

以上が縁起の詞書のあらましであるが、おそらく八幡宮信仰がさかんになった結果、応神天皇ゆかりの地に社殿が建立されたと考えられます。
御祭神
応神天皇
ご利益
恋愛成就・縁結び 病気平癒 勝負運 商売繁盛 五穀豊穣 芸能上達
お守り・おみくじ
やっている
御朱印
やっている
供養・
お焚き上げ
やっていない
祈願・お祓い
七五三 厄払い 安産祈願 初宮詣 お宮参り 結婚式 出張祭典(地鎮祭他) その他
各種初穂料
(ご祈祷料)
安産祈願: 7,000円 〜
七五三: 5,000円 〜
厄払い: 5,000円 〜
併設する施設
安産社、当宗社、姫待稲荷社、恵比寿社
文化財・
宝物など
国 宝 (古墳時代) 金銅透彫鞍金具
国 宝 (鎌倉時代) 塵地螺鈿金銅装神輿
重要文化財 (室町時代) 誉田宗廟縁起
重要文化財 (室町時代) 神功皇后縁起
重要文化財 (鎌倉時代) 蔦松皮菱螺鈿鞍
重要文化財 (鎌倉時代) 後撰和歌集 巻二十 伏見天皇宸翰 1巻
重要文化財 (鎌倉時代) 舞楽面 陵王
重要文化財 (鎌倉時代) 舞楽面 天童
竹葉八幡神像
きぬがさ形木製品
檀輾
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