公式
宮崎神宮
みやざきじんぐう
宮崎市神宮2丁目4-1 JR宮崎神宮駅下車 徒歩10分
当神宮では、10月26日の例祭をはじめ、日々の朝夕のお日供祭など、 年間を通じて約千回のお祭が斎行されます。 また結婚式、初宮詣や七五三、厄除、交通安全などのご祈願も数千件を数えます。 日々のお祭を通して、皇室の彌栄、国家の平安と発展、国民の幸せを祈っています。
- 基本情報
- 写真ギャラリー(8)
- お祭り・行事
- アクセス
基本情報
神社御名称 | 宮崎神宮 |
---|---|
鎮座地 (住所) | 〒880-0053 宮崎県宮崎市神宮2丁目4-1 |
アクセス | JR宮崎神宮駅下車 徒歩10分 |
駐車場 | あり |
電話番号 | 電話で予約問合わせ 0985-27-4004 ※お問合わせの際はMy神社を見たとお伝えになるとスムーズです。 |
公式サイト | https://miyazakijingu.or.jp/ |
受付時間 | 09:00 〜 16:30 |
神社詳細情報
【神武天皇のご偉業】 『神武天皇ご誕生』 神武天皇は初代天皇にご即位するまでは、神日本磐余彦天皇、ご幼名を狭野命と申し上げました。天照大御神から五代目の御孫にあたります。鵜鷀草葺不合尊(鵜戸神宮ご祭神)の第四皇子で、母は玉依姫命(たまよりひめ)と申します。お生まれは宮崎県西諸県郡高原町大字狭野(にしもろかたぐんたかはるちょうおおあざさの)と言われ、この地には狭野神社が鎮座しています。 天皇は生まれつきご聡明で武に富みご性格もしっかりした方でしたので、御年十五歳の時皇太子に即(つ)かれ、宮崎で政治(まつりごと)をお取りになりました。しかし、当時は未だ全国統一がなされた時代ではなく、皇威(こうい)が全国に輝くというわけではありませんでした。 【二度にわたる拡張】 『明治40年の拡張』 明治31年二条基弘(にじょうもとひろ)公爵、島津忠亮(しまづただあきら)伯爵、高木兼寛(たかきかねひろ)男爵らが中心となって「神武天皇御降誕大祭会」が組織されました。宮崎神宮を社格に見合った規模の大社とすべく、奉賛会が組織され全国規模での募財活動が展開されました。皇室からのご下賜(かし)金や政府の改築費(7年間)なども支出され、明治40年9月に竣工となりました。 『皇紀二千六百年(昭和15年)の拡張』 昭和15年は神武天皇ご即位後二千六百年の佳節にあたり、肇国の歴史を偲び寿ぐために、紀元二千六百年奉祝会(総裁・秩父宮雍仁親王(ちちぶのみややすひとしんのう)、副総裁・近衛文麿(このえふみまろ)、会長・徳川家達(とくがわいえさと))が設立されました。昭和13年7月の総会において、当神宮は橿原神宮についで第二位にランクされ、境内地の拡張工事や徴古館の改築など、県内外の祖国振興隊の勤労奉仕によって進められました。昭和15年11月25日、高松宮宣仁親王殿下(たかまつのみやのぶひとしんのうでんか)のご台臨を仰いで宮崎神宮境域拡張工事竣工奉献祭が斎行され、ようやくにして社格に見合った境内を得て、面目を施すこととなりました。 写真:境内拡張工事に従事する祖国振興隊(昭和14年頃) | |
ご由緒 社伝によれば、本宮は神武天皇の孫にあたる健磐龍命(たけいわたつのみこと)(熊本・阿蘇神社ご祭神)が九州の長官に就任した際、祖父のご遺徳たたえるために鎮祭したのが始まりと伝えられています。下って第十代崇神天皇、第十二代景行(けいこう)天皇の熊襲(くまそ)ご征討の際に社殿のご造営があり、ついで第十五代応神(おうじん)天皇の御代、日向の国造が修造鎮祭(しゅうぞうちんさい)せられた旨が旧記に伝えられています | |
御祭神 | 【ご祭神】 神日本磐余彦天皇(第一代・神武天皇) 【相殿】 左 鵜鷀草葺不合尊(御父君) 右 玉依姫命 (御母君) |
---|---|
ご利益 | 子授安産 厄払い 病気平癒 交通安全 勝負運 家内安全 学業成就 |
お守り・おみくじ | やっている |
御朱印 | やっている |
供養・ お焚き上げ | やっていない |
祈願・お祓い | 七五三 厄払い 初宮詣 結婚式 年祝い・長寿祝い 健康・病気平癒 車・交通安全 神葬祭 |
各種初穂料 (ご祈祷料) |
続きを表示