梅宮大社

うめのみやたいしゃ
京都市右京区梅津フケノ川町30 阪急電車 嵐山線「松尾大社」下車 徒歩10分
梅宮大社の店舗画像1 梅宮大社の店舗画像2

四季折々の花が美しい庭園。 梅はもちろん、花菖蒲・椿・杜若 あじさい・つつじなどで有名 梅宮大社

基本情報

神社御名称
梅宮大社
鎮座地
(住所)
〒615-0921
京都府京都市右京区梅津フケノ川町30
アクセス
阪急電車 嵐山線「松尾大社」下車 徒歩10分
駐車場
あり
電話番号
電話で予約問合わせ 075-861-2730
※お問合わせの際はMy神社を見たとお伝えになるとスムーズです。
公式サイト
http://www.umenomiya.or.jp/
受付時間
09:0016:30

神社詳細情報

【御神徳】
その一 「酒造守護」
大山祗神を特に酒解の神と醸造の御神徳を讃えておまつり申し上げ、木花咲耶姫命を酒解子神、瓊ヶ杵尊を大若子神、彦火火出見尊が小若子神と、醸造酒解の御神徳を讃えてのその御神号として御祀り申し上げてあるのは、日本書紀に名高い木花咲耶姫命が彦火火出見尊を御安産になったのを御喜びになった大山祗神が、狭名田(サナダ)の茂穂で天甜酒(アメノタムサケ)を醸み造って天神地祓にお供えになった事に始まる日本酒醸造の始まりの神話による御神徳を讃えて、特に酒解の御神号を捧げ奉り、御同座の神々も醸造に縁のある御神号を捧げ奉って御祭りしてあるのは、この梅宮大社ただ一社だけであります。これ故に古来より全国酒造家の尊崇をお受けになって各地の酒造に御祭りされております。まことに梅宮大社は全国の多くの醸造守護神中で創祀の最初から御神徳をこの醸造守護の上に仰がれた唯一社の神社と申すべきで、醸造家が特別の尊崇を捧げておられますのは申すまでもありません。
橘氏の氏神として子孫繁栄を祈願して御祀りされるに当たって、何故に醸造の神として御神号を奉られたかと申しますと、本酒醸造の歴史より考えますと、奈良朝より平安朝初期に至るまでの朝廷中心の酒造が行われていた時期に於いては、日本酒醸造の責任者は女人であって刀自と申したのでありまして、梅宮を創祀された、諸兄公の母君犬養三千代夫人は当時宮中にあって酒造の責任者であった為ではないかと考えられるのであります。

その二 「授子安産守護」
木花咲耶姫命は、瓊ヶ杵尊の皇后に立たれ無戸室の燃えさかる中で彦火火出見尊を御安産になりました。梅宮大社が血統存続守護の神として古来信仰されますのはこのためで、檀林皇后も特に祈願あそばされて仁明天皇を御懐妊御安産になったのであります。この時にまたげ石をまたげられたと云う云い伝えがあり、又梅宮の西方すぐ近くにあった鈴の御殿と云う御産殿の床に、梅宮社殿の砂を敷いて安産されたと云うことにより以来梅宮安産の御守として本社社殿の下の徳に祓い清められた砂を用いた産砂(ウブスナ)の御守りと云うのが安産の御守として用いられて今日に至っております。此の由来から此の御守は産気付かれたときに産床の下に敷くという特異な使用法になっております。
此の様に奈良朝創設以来授子安産の守護神として朝野の信仰をあつめられました。
古来宮中より、皇后、中宮の御懐任の時は御安産の為に、御子のおわさぬ時は授子祈願の為に、梅宮大社創祀当初から神殿に奉安する寿命神石を御拝覧になる御例があり、又産床の下に敷く産砂を受ける古習や「またげ石」をまたぐ奇習が広く民間にも伝わって、今日なおその霊験を仰がんとする参詣者が多いのであります。
なお、宮弊社時代には宮中の御安産祈願のために特に祈願を奉仕して、御誕生の際の「へその緒切りの竹へら」を祈願の上御納めしておったのであります。これを「阿乎比江」と云っておりました。

その三 「学業成就守護」
相殿に奉祓の嵯峨天皇は、平安の始め御自ら書道に秀で三筆の第一と讃えられ学業の興隆の基を築かれた御方であり、檀林皇后が唐より名禅僧義空を招いて学問の寺、檀林寺を創設されたのを始め、摂社に奉祓する右大臣橘氏公公は我が国最初の学校橘学館院を創設され、又、橘逸勢公は弘法大師と並んで当時の三筆の一人でもあり、遣唐使として唐に渡り専ら書の道を究められた書道の先達、創設者であり、皆揃って平安初期の学問興隆の基を築かれた方々であります、誠に学業成就の守護の神々として古来より尊崇されております。

その四 「縁結の神」
大山祗神は、その娘の木花咲耶姫命を天孫瓊ヶ杵尊の御后として、縁結びされた神様であります。

その五 「音楽芸能の神」
相殿に坐します仁明天皇はその御事歴に示すごとく、我が国始めての作曲者として、又横笛の名手として在らせられ、音楽芸能の守護神として崇められているのであります。
ご由緒
当社は今から凡そ千三百年前、橘氏の祖・諸兄(モロエ)公の母、県犬養三千代(アガタイヌカイミチヨ)が、橘氏一門の氏神として始めてお祀りした神社です。その鎮座の地は山城国相楽郡井出庄(ヤマシロノクニソウラクグンイデノショウ)すなわち、今の綴喜群井出町付近であったと伝えられています。

 其の後、天平宝字年中、千二百五十年ばかり前に、聖武天皇の妃・光明皇后と藤原武智麻呂〔ムチマロ)夫人の牟婁(ムロ)女王が奈良の都に御遷座になり、更に泉川(木津川)の上流かせ山を経て平安時代の始め、嵯峨天皇の皇后・橘嘉智子(タチバナノカチコ<檀林皇后>)によって現在の地に遷しまつられました。当時、皇后は親しく行啓して盛大な祭儀を行われましたが、神前で雅楽が奉納されましたことは、此の時を最初の例とし以来、梅宮祭は四月上の酉の日に行われ、雅楽祭の名を高めました。

 仁明(ニンミョウ)天皇は、千百五十年ばかり前、承和年中にこの祭を特に名神祭という国家の主要な神祭の中にお加えになり、醍醐天皇の御代に定められました延喜式(エンギシキ)では、国家の制度にのっとり、名神大社というもっとも高い格式に置き、祈年祭(トシゴイマツリ)・月次祭(ツキナミサイ)・新嘗祭(ニイナメサイ)には朝廷からの幣帛(ヘイハク)を新饌台(シンセンダイ)の上に載せて奉るという、案上の官幣と呼ばれる最高の儀礼をもってまつられることになりました。

 更に日本中で特選された二十二の大社の中に加えられ、明治の初めには官弊社に列せられました。
相殿四座がおまつられになりましたのは、文徳(モントク)天皇の仁寿年中で、千百年ばかり前のことです。
代々橘氏の長者がお仕へしていましたが、県犬養三千代夫人が橘氏の祖でありますと共に、藤原不比等公の夫人となられました御関係から、藤原氏の摂政又は関白の家筋の方が橘氏長者を代行され、此の神社に藤原氏の氏神の春日神社と同様の崇敬を捧げられました。

このように橘氏は橘・藤原の二氏が長者となりましたので、特に此の氏(橘氏)に限って長者の事を是定(ゼジョウ)と呼ばれていました。もって橘氏の家格の尊さと梅宮大社の神威の偉大さがうかがわれます。
御祭神
【本殿四座】
酒解神(大山祇神)

【相殿四座】
橘清友公
創建
元禄十三年
ご利益
子授安産 恋愛成就・縁結び 厄払い 交通安全 学業成就 芸能上達
お守り・おみくじ
やっている
御朱印
やっている
供養・
お焚き上げ
やっていない
祈願・お祓い
七五三 厄払い 安産祈願 お宮参り 結婚式 車・交通安全 出張祭典(地鎮祭他) 神葬祭
各種初穂料
(ご祈祷料)
安産祈願: 6,000円 〜
七五三: 6,000円 〜
厄払い: 6,500円 〜
続きを表示