公式

放生津八幡宮

ほうじょうづはちまんぐう
射水市八幡町2-2-27 【万葉線】万葉線「東新湊駅」から徒歩約5分
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万葉集ゆかりの古社!富山県射水市『放生津八幡宮』

基本情報

神社御名称
放生津八幡宮
鎮座地
(住所)
〒9340025
富山県射水市八幡町2-2-27
アクセス
【万葉線】万葉線「東新湊駅」から徒歩約5分
駐車場
あり
電話番号
電話で予約問合わせ 0766-84-3449
※お問合わせの際はMy神社を見たとお伝えになるとスムーズです。
公式サイト
https://www.houjyoudu.com/
開門時間
07:00〜05:00 (毎月1日及び15日は6時から月次祭を斎行しております。)
受付時間
09:0005:00
定休日
年中無休
感染症対策
※新型コロナウイルス感染症対策に伴う当宮の運営に関するお知らせ
感染症終息までの間、皆様の安全を考え、以下の通り感染症対策を実施しつつ運営して参りますので、ご理解の程よろしくお願い申し上げます。
●自由参拝:これまで通り、当宮へお越しいただけます。
●御朱印の頒布も通常通り社務所にて行っております。
●祈祷時の十分な換気:いつも浜風が吹く地域ですが、引き続き換気を行いながら通常通り祈祷致します。
●消毒・マスク傾向等の対応:各拠点への消毒液設置。当宮職員が定期的に消毒を実施しますので、あらかじめご了承ください。
*祭礼においては、神職・随行員全て、マスク及び消毒液の傾向。神輿渡幸員においては、十分な間隔を確保しつつ巡行。

神社詳細情報

「海と産みの信仰」
当宮の古文書によると、八幡宮の八幡を「八海」=「矢渡」(やわた)と読み慣わしている。「八海」(やわた)とは、奈呉の浦から広がる大海原のことであろう。
地元の人々には、八幡様は、海の神様であるという認識が強かった。当宮は、奈呉の海を背に南面して建っている。参拝者からみると、海に向かって参拝するかたちとなる。古くから、漁業関係者の崇敬が篤い。漁に出るときは、八幡宮裏の海上で3回旋回し、参拝してから沖に出かけたという。
拝殿に「昆布をもった仙人」の絵馬が掲げられている。昆布は、蝦夷地が産地であり、放生津は、北前船の交易でも栄えた港町である。北前船の船主ら商人も篤く信仰した。
また、当宮には安産の信仰がある。海は産みに通じるからであろうか。海は、全ての生命のふるさとであるともいわれる。当宮の築山の姥神には、子孫の繁栄を見守り安産の信仰があった。子どもに晴れ着を着せて、家族そろって姥神を拝んだという。姥神のみならず、当宮に安産の祈願をする参拝者は絶えることがない。

「鎮座地について」
郷土出身の偉大な詩聖、牧野茂(鉄篴(てつてき))が昭和14年に当宮に奉納した漢詩文に「東は太刀山の連峰を仰ぎ、北は日本海の蒼波に枕(のぞ)み、右に海龍湖あり、左に射水川あり・・・」と歌った。その景勝地が当宮周囲の風景である。万葉の昔、越中国守・大伴家持が「あゆの風 いたく吹くらし奈呉(なご)の海人(あま)の 釣りする小舟 漕ぎ隠る見ゆ」と万葉集に歌ったように、奈呉の浦に面している。また、「湊風(みなとかぜ) 寒く吹くらし 奈呉の江に 妻呼び交わし 田鶴(たづ)さわに鳴く」と歌ったように越の潟(こしのかた)に隣接していた。奈良時代から海人の集落があり、漁業が行われていたことが万葉集から窺える。当宮は、その奈呉の地に、越中国守大伴家持が、宇佐八幡神を勧請し、奈呉八幡宮として鎮座された。この地域は、当宮の放生会に由来し、放生津と呼ばれるようになった。鎌倉時代の古文書に放生津(ほうじようづ)の名が見られ、鎌倉時代には地名として定着していたことが分かる。鎌倉時代に、放生津に守護所が置かれ、越中国の武家政治の中心地となった。鎌倉期以来、放生津は港町として栄え、近世に至っては、北前船の交易でも栄え、漁業とともに繁栄した。
家持が歌に詠んだ時代には入り江であった奈呉の江が、土砂の堆積で潟湖になった。潟湖は越の潟と呼ばれ、牧野茂の漢詩では海龍湖と歌われていた。その海龍湖が富山新港となり時代とともに変貌を遂げた。射水川も万葉集に歌われた川であり、現在の小矢部川である。万葉の昔より変わらぬ雄姿を見せるのが立山連峰である。立山からの日の出は美しい。初夏から初秋にかけては、立山から昇る朝日が、奈呉の海にきらめいて朝凪の海を美しく染めた。立山連峰と弧を描く海岸線と朝凪の海に出入りする船はこの地域の風物詩であった。現在は、その奈呉の浦も埋め立てられ、新湊漁港になった。新湊漁港の北東の埋め立て地には、帆船海王丸が係留され海王丸パークになっている。奈呉の浦にも時代の波が押し寄せている。

「境内社」 
來名戸社(祭神)八衢比古命(やちまたひこのみこと)・八衢比売命(やちまたひめのみこと)
火の宮社(祭神)軻遇突智命(かぐつちのみこと)
祖霊社(祭神)大伴 家持(大伴宿禰家持:おおとものすくねやかもち) 
「末社」 
魚取社(祭神)事代主命(ことしろぬしのみこと)
ご由緒
由緒1
嘉祥元年(848)8月に記された当宮の由緒を要約すると、「天平18年、越中国守、大伴家持が奈呉の浦を遊船中、にわかに風が強くなり、波濤高く船の舷に激しくうちつけた。家持は、掌で潮水を掬い、両手を合わせてひたすらに宇佐八幡神に祈願した。すると、たちまち順風に変わり、無事国府に帰ることができた。そこで、家持は、天平19年8月に、本殿、拝殿、七堂伽藍を建立し、宇佐八幡神を勧請した。・・・」というもの。家持は、強風で船が転覆しそうになり、命の危険にさらされたが、宇佐八幡神のご加護により助かったということが語られている。
当時は、朝廷の宇佐八幡宮への信仰が高まっている時期である。天平17年(745)に、聖武天皇が病気に罹られ重篤な症状に陥られた。朝廷では、宇佐八幡宮に聖武天皇の病気平癒祈願を行った。その甲斐あって聖武天皇の病気が快復した。
天平19年(747)新年早々、家持は、重病に罹り病床に着くことになる。家持自身、命の危険を感じていたことが万葉集から窺える。正倉院文書によると、2月23日に、佐保の大伴家では氏寺で、十一面観音菩薩に家持の病気平癒祈願を行ったという記載がある。家持の重病の報が奈良の大伴家にも伝えられていたことが分かる。2月29日に、家持が越中掾、大伴池主に宛てた書簡によると、「百神に祈り、ようやく病が小康状態になった。・・」という趣旨のことが書かれている。家持が祈った百神の筆頭に、聖武天皇の病気平癒に霊験のあった宇佐八幡神がおられたのではなかろうか。家持作の「あゆの風 いたく吹くらし 奈呉の海人の 釣する小舟 漕ぎ隠る見ゆ」の歌に詠まれているように、奈呉にはすでに海人の集落があり漁業を営んでいたことが窺える。奈呉は当宮の鎮座地である。家持は、国守として海人の暮らしぶりに関心を持ち、実際に舟に乗って海人の暮らしぶりを見廻られたに違いない。そして、海人の暮らしの安寧と海幸の豊かなことを祈られたと考えられる。この由緒には、家持の強い祈願によって宇佐八幡神が勧請されたことが背景にあると考えられる。当宮は、家持によって創建され、当初は奈呉八幡宮と称されていた。

由緒2
文化13年(1816)に建立された大伴宿禰家持卿顕彰碑(おおとものすくねやかもちきようけんしようひ)による当宮の由緒は、『天平18年8月のある夜、家持の夢に貴女が現れ、「私を祀れば、世の中が平和になるあろう。」とのお告げがあった。家持が貴女に名前を尋ねたところ「私はこの地域を治める道主貴(みちぬしのむち)」と答えられたという。このことを家持が国府の館で話したところ、介内蔵忌寸縄麻呂(すけくらのいみきなわまろ)と大目秦忌寸八千島(だいさかんはたのいみきやちしま)も同じ夢を見たという。それで、天平18年8月庚寅(かのえとら)日、祠を建てて祀った。』とある。この由緒は、当宮の建立に国府の役人達が関わっていたことを物語っていると考えられる。大伴家持が越中国守として赴任してきた頃、聖武天皇の発願により東大寺の大仏建立が国家的事業となっていた。宇佐八幡宮のご神託があり、宇佐八幡神みずから、天神地祇を率いて大仏建立に協力するというお告げであった。天平17年(745)には、東大寺の大仏の建立が始まった。  
天平18年(746)に越中に赴任した家持の重要な任務のひとつは、東大寺の寺領を占定し、開墾を進めることであった。正倉院に東大寺墾田地地図(とうだいじこんでんちちず)が保管されている。24枚のうち、17枚までが越中国のものである。現存する墾田地地図の中で越中国のものが最も多い。万葉集によると、家持は、東大寺領の占定と開墾のようすを視察にやってきた東大寺僧・平栄を丁重に迎え、歌を送り宴を催している。また、越中の国師の従僧・清見をもてなす宴を催している。家持ら国府の役人達は、東大寺の墾田地の占定や開墾に奔走していたと考えられる。後に、内蔵忌寸縄麻呂(くらのいみきなわまろ)は、造東大寺司判官に任命されている。この人事は、越中国での東大寺領の占定作業に携わった実績が反映しているものと考えられている。
秦忌寸八千島(はたのいみきやちしま)は、秦氏の出身である。秦氏は、内蔵氏と同様、その先祖が應神天皇の御代に渡来してきた人々の子孫である。当時の小目(しようさかん)は、秦忌寸石竹(はたのいみきいわたけ)であり同じ秦氏の出身である。秦氏は、精銅の技術をもった人々であり九州の北部に多く定住した。宇佐八幡宮の神職のひとつであった辛島氏は、秦氏の一支族であるという。
この由緒は、本殿に収められていたものであり、当宮の由緒とともに家持卿の功績を後世に伝えるために石碑に刻んだと記されている。
御祭神
祭神
・應神天皇
(品陀和気命(ほむだわけのみこと))

配祀
・仁徳天皇
(大鷦鷯命(おおさざきのみこと))
創建
天平18年(746)
ご利益
心願成就 勝負運 渡航安全
お守り・おみくじ
やっている
御朱印
やっている
供養・
お焚き上げ
やっている
祈願・お祓い
七五三 厄払い 安産祈願 初宮詣 お宮参り 結婚式 年祝い・長寿祝い 健康・病気平癒 車・交通安全 出張祭典(地鎮祭他) 神葬祭 その他
各種初穂料
(ご祈祷料)
併設する施設
・きときと市場より徒歩4分
・海王丸パークより徒歩12分
文化財・
宝物など
放生津八幡宮祭曳山(10月1日)・築山(10月2日)行事:国指定重要無形民俗文化財(答申:1月15日現在)
ー重要文化財ー
神社号「八幡宮」・「放生津八幡宮」
絵馬「昆布の絵馬」
放生津八幡宮狛犬:矢野啓通作
「早稲の歌句碑」
放生津八幡宮拝殿附棟札:棟梁 高瀬裕太郎
外国語対応
英語
バリアフリー
設備
手すり スロープ 多機能トイレ
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