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佐谷田神社
さやだじんじゃ
熊谷市佐谷田310 JR高崎線 熊谷駅 徒歩25分
より良くなる力を引き出してくれる神様
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基本情報
神社御名称 | 佐谷田神社 |
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鎮座地 (住所) | 〒360-0023 埼玉県熊谷市佐谷田310 |
アクセス | JR高崎線 熊谷駅 徒歩25分 |
駐車場 | あり |
電話番号 | 電話で予約問合わせ 048-527-0885 ※お問合わせの際はMy神社を見たとお伝えになるとスムーズです。 |
公式サイト | https://www.kaminomura.me/sayadajinja |
受付時間 | 10:00 〜 15:30 |
神社詳細情報
【佐谷田と塞神】 「佐谷田(さやだ)」は低湿地の意味であると言われていますが、一説には「さえど」の転訛と見て、「道祖神(さえのかみ)を祀る所」の意味であるとする説もあります。 当地が特に道祖神を祀った場所とは考えにくいのですが、境内には「塞神」と彫られた石碑4基があります。 そのうち2基には 「明治二己巳年四月吉日 混雑仏復古就御一新改祀之」 の文字が判読できます(あと2基のものは磨滅がひどく判読できません)。これは、元来は庚申塔であったと思われますが、あまり他では見かけない処置です。恐らくは、往時朝廷に後ろめたさのあった親藩忍領に属していたためかとも考えられます。 熊谷は水の都 古くは、この辺り一帯のどこを掘っても清流がわき出たそうです。 当神社の境内にも、昔は石塁に井戸があったとの記録がありますが、現在その場所は不明です。 氏子区域 氏子区域は、佐谷田・戸出(とで)・平戸(ひらと)。 昭和20年ごろ、地域の諍いにより戸出・平戸が氏子から分離するという事態が起こりましたが、分祀祭(神様のご分霊をいただく儀式)は行われず、それぞれのご神体は今も変わらず往古のまま佐谷田神社に祀られ、戸出・平戸地域からも篤い崇敬をうけています。 佐谷田は東・西・南・北・戸出・平戸の6区に分けられています。 現在の恒例祭事(例祭・春秋季大祭・正月等)の運営は、宮司の指揮の下、東西南北の4区から各地区の自治会長の推薦で選ばれた計10名の氏子総代により行い、祭事の世話は隣組単位に年番で置かれている祭事係が行っています。 | |
ご由緒 享保7年3月11日(1722)「 宗源宣旨(そうげんのせんじ)」を受け、正一位となる(資料現存せず)。 ※「宗源宣旨」…吉田神道で、卜部家から諸社に、神宣として諸社に授ける神階・社格・神号を記した文書。文明年間(1469-1487)卜部(うらべ)兼倶に始まった。 寛政5年(1793) 伯家に願い出て八幡宮の神号を受けた時の添え状の記事あり(資料現存せず)。 ※伯家神道とは、花山天皇の子孫で神祇伯を世襲した白川家によって受け継がれた神道の一流派。白川神道とも呼ばれる。 文政2年(1819) 江戸時代、佐谷田ではしばしば蝗害が発生した。 そこで、大山寺源長坊に頼んで蝗害駆除祈願を行ったところ効果があったため、源長坊の勧めに従い、当社境内に「虫霊蝗明神」の石碑を立てることを役人に願い出た文書も残っている。 文化・文政期 1830 『新編風土記稿』より ・八幡社「八幡社 村の鎮守、永福寺持」※後の佐谷田神社 ・神明社「神明社 社領七石余の朱印を賜へり、別当金錫寺 新義真言宗」 ※七石の社領を明治初めに上地(あげち)されて以来零落。明治32年に時の社掌杉浦正太郎が内務大臣・農商務大臣に上地林を下げ戻しの上、境内に編入することを嘆願するも、調査を行った東京大林区署長嶋田剛太郎の「該神社は、村社なるも全く荒廃に任せ、神体は唯御幣のみ存するの状況、殆ど無格社に劣る」との報告により実現せず。 ・他国社「他国明神社 村の鎮守なり、祭神詳ならず、或云住吉を祀りし社なりと云、超願寺持」 口碑(こうひ)に「長崎平戸の神を祀り他国社という」。 ・氏子区内、八丁耕地の雷電社「雷電社 村民持」「元荒川 久下村の境を流る、村の西字八町(ママ)」新田に鎮座する雷電社の御手洗より清泉湧出して流るは即ちこの川の水元なり」。 社地には現在も形のみ残す池があり、古くはこの池の水を濁して雨乞いをしたと伝えられる。 安政5年5月(1858) 「太々神楽執行嘆願書」 数年来天災が引き続き一同難渋していたが、前年は特に田畑の出来が悪かったので、相上(現吉見町)の須長土佐守を頼み村方安全・五穀豊穣を祈って神楽を奉納したところ、村の若者が面を被って踊りに加わったため、勝手に太々神楽を行ったと誤解され、役人にとがめられたことが記されている。 安政6年9月(1859 ) 「相撲興行許可願」 相撲を行って当時流行していた「疫痢之病」を退散させようとした。 明治22年(1889) それまで北埼玉郡だった戸出・平戸が大里郡の佐谷田村と合併し佐谷田村となる。 大正2年 佐谷田・戸出・平戸が合併されたことを受け、約20年後の明治40(1907)年に戸出の神明社を、また大正2(1913)年に平戸の他国社をそれぞれ佐谷田の八幡神社本殿内に合祀することとなり佐谷田神社という今の社名に改称される。 | |
御祭神 | 本社(ご本殿) 主祭神 (佐谷田)八幡神社…譽田別命(應神天皇)、神功皇后、玉依姫命 相殿神 (戸 出)神明神社…大日孁貴命、天鈿女命、手力雄命(旧戸出神社) (平 戸)住吉神社(他国社)…底筒男命・中筒男命・表筒男命 境内末社 ・富士塚(浅間神社…木花咲耶姫、小御嶽石尊大権現、大天狗、小天狗) ・三峯神社…伊弉諾尊、伊弉册尊 ・稲荷神社…倉稲魂命 ・琴平神社…大物主命 ・八坂神社…素戔嗚尊 ・天神社…菅原道真公 ・伊奈利社…保食命 ・厳島神社…市杵島姫命、瑞津姫命、田務姫命 ・八衢比古命 ・日本武尊 ・天児屋根命 ・大山祗命 |
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創建 | 享保7年3月11日 |
ご利益 | 恋愛成就・縁結び 金運 健康長寿 病気平癒 交通安全 勝負運 商売繁盛 五穀豊穣 渡航安全 |
お守り・おみくじ | やっていない |
御朱印 | やっていない |
供養・ お焚き上げ | やっていない |
各種初穂料 (ご祈祷料) |
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