公式
早馬神社
はやまじんじゃ
気仙沼市唐桑町宿浦75 【電車】JR八幡大橋駅からバスで宿停留所下車、徒歩5分 【車】三陸自動車道唐桑半島ICから約15分
鎌倉武将 梶原景時の兄、景実の創建。安産祈願と子育てに御利益のある神社
基本情報
神社御名称 | 早馬神社 |
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鎮座地 (住所) | 〒988-0534 宮城県気仙沼市唐桑町宿浦75 |
アクセス | 【電車】JR八幡大橋駅からバスで宿停留所下車、徒歩5分 【車】三陸自動車道唐桑半島ICから約15分 |
駐車場 | あり (神社専用駐車場50台) |
電話番号 | 電話で予約問合わせ 0226-32-2321 ※お問合わせの際はMy神社を見たとお伝えになるとスムーズです。 |
公式サイト | https://hayama.jinja.jp |
開門時間 | 06:00〜18:00 |
受付時間 | 09:00 〜 16:00 |
定休日 | 年中無休 |
感染症対策 | 各所にアルコール消毒液を設置。 参拝者が密集しないよう御祈願は個室に御案内。 |
神社詳細情報
宮城県気仙沼市の早馬神社(はやまじんじゃ)は建保5年(1217年)に鎌倉武将 梶原景時の兄である梶原景実(かげざね)により創建され、古くから「早馬さん」と称されて信仰されてきました。 早馬神社は初代である梶原景実(『吾妻鏡』では専光房良暹)が鎌倉幕府初代将軍 源頼朝公の直々の命により夫人である北条政子の安産祈願を執り行い、無事安産にて男子(二代将軍源頼家公)を出産した史実より安産・子育てに御利益のある神社として、また、勝ち馬必勝、受験・仕事・衣食住家庭生活など万事『早くうまくいく』御神徳として厚く信仰されています。 | |
ご由緒 今から約800年前の建保五年(1217年)、鎌倉若宮(鶴岡八幡宮)の別当であった梶原専光坊僧正景実【(かげざね〉、鎌倉武将 梶原平三景時公の兄)】は、正治元年(1199年)の源頼朝公の死亡、これを追うかのような梶原景時公一族の没落、又、和田氏、畠山氏が滅んで行くのを見て世を憂い鎌倉を離れ、蝦夷千島を目指して下り、その途中の当町石浜にたどりつきそこを切り開き住んだ。家の脇に社を建て、源頼朝公(鎌倉幕初代将軍)、梶原景時公(源頼朝公第一の家来)、梶原景季公(景時公の子)の御影を安置し一族の冥福を祈り、菩提を弔う為梶原神社を崇め祀った。 建保七年(1219年)、一族の梶原三郎兵衛尉景茂【(かげもち) 梶原景時の三男)】の子である第二代大和守景永は、景実僧正の後を慕ってこの地に至り景実の猶子(養子)となった。景永は神職となり、早馬大権現別当として早馬山頂に神社(奥宮)を建立した。 正慶元年(1332年)、第五代大和守慶永の時、紀州熊野本宮より勧請し社殿を新たに建立。以後、数度の建て替えが行われる。里宮は1611年慶長三陸地震の大津波により流失し、石浜より明戸と移り、その後、現拝殿が鎮座する宿浦へ遷座する。 中世は本山派修験として京都聖護院より『良厳院 (りょうごいん)』の院号を授かる。 仙台藩時代には伊達家の祈祷師として仕え九曜紋を授かる。 明治のはじめに神仏分離令により早馬大権現より現社号 『早馬神社』に改め現在に至る。 本山派修験良厳院累世社務を掌り現宮司で三十三代目となる。 神幸祭には、神輿渡御、船祭り、献膳祭、打囃子、稚児行列、道中手踊りが執り行われる。 | |
御祭神 | 倉稲魂命(ウカノミタマノミコト) |
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創建 | 建保5年(1217年) |
ご利益 | 子授安産 恋愛成就・縁結び 厄払い 病気平癒 交通安全 勝負運 商売繁盛 学業成就 |
お守り・おみくじ | やっている |
御朱印 | やっている |
供養・ お焚き上げ | やっている |
祈願・お祓い | 七五三 成人式 厄払い 安産祈願 初宮詣 お宮参り 結婚式 年祝い・長寿祝い 健康・病気平癒 車・交通安全 出張祭典(地鎮祭他) 神葬祭 |
各種初穂料 (ご祈祷料) | 安産祈願: 5,000円 〜 七五三: 5,000円 〜 成人式: 5,000円 〜 厄払い: 5,000円 〜 ・出張祭典 <工事> 地鎮祭・起工式 井戸埋祓 竣工式・落成式 新宅祭鎮火祭 新居清祓・事務所清祓 他 <お祓い> 家内安全・春祈祷 忌明け祓い(大祓) <神葬祭> 神葬祭 年祭(祖霊祭) |
併設する施設 | 詩人梶原しげよギャラリー |
バリアフリー 設備 | 手すり |
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