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石清尾八幡宮
いわせおはちまんぐう
高松市栗林町1-30-3 JR高徳線 栗林公園北口駅から徒歩約12分
高松の氏神さん 石清尾八幡宮
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基本情報
神社御名称 | 石清尾八幡宮 |
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鎮座地 (住所) | 〒760-0073 香川県高松市栗林町1-30-3 |
アクセス | JR高徳線 栗林公園北口駅から徒歩約12分 |
駐車場 | あり (約50台) |
電話番号 | 電話で予約問合わせ 087-862-5846 ※お問合わせの際はMy神社を見たとお伝えになるとスムーズです。 |
公式サイト | https://iwaseo.com/index.php |
受付時間 | 08:00 〜 16:00 |
感染症対策 | 新型コロナウィルス感染者増加を受けて、当宮でもアルコール消毒を徹底するとともに、イスの間隔も充分に広げて座っていただきます。 |
神社詳細情報
延喜18年(西暦918年)、八幡大神様が亀ノ尾山(現在の石清尾山)山上に現れたので、当時の国司が山上に祠を建ててお祀りしたと伝わっています。 石清尾(いわせを)八幡宮の社名の由来は、亀ノ尾山の山裾にあたり、石清水八幡宮の「石清水」と「亀の尾」を一つにあわせて「石清尾」になったと言われています。 南北朝時代には、ここ讃岐を治めていた細川頼之公が当宮への崇敬の念篤く、戦勝祈願を行い成就したことにより、当宮の社殿を改修し、様々な武具を奉納されました。この時(1364年)に右馬頭市(うまのかみいち)が始まり、現在の市立祭へと繋がります。 天正16年(1588年)には讃岐守、生駒親正公が高松城を造営し城下町を整えた際、当宮を府城の鎮護、高松の産土神と定めました。二代目の生駒一正公も当宮社殿を改築し、社領を寄進されました。 江戸時代に入り、寛永19年(1642年)高松藩主となった松平頼重公も当宮を氏神と篤く崇拝し、寛文6年(1666年)社殿を造営し、社領と多数の宝物を寄進されました。 第二代藩主松平頼常公も頼重公の社領寄進を追認し、以後、歴代藩主は代替わりごとに当宮を参拝することになりました。明治5年には「懸社」に列せられました。 不幸にも、創建後320年に及ぶ本殿をはじめ、幣殿、上拝殿の3殿は昭和61年に焼失しましたが、平成元年に氏子崇敬者の浄財により復興されました。 平成30年は創建1100年目にあたることから「創祀1100年祭」を盛大に行い、高松総鎮守・高松の護り神として多くの人に親しまれ現在に至ります。 | |
ご由緒 延喜18年(西暦918年)、八幡大神様が亀命山(現在の石清尾山)山上に現れたので、当時の国司が山上に祠を建ててお祀りしたと伝わっています。石清尾(いわせを)八幡宮の社名の由来は、当時社殿があった赤塔山が亀ノ尾山塊の山裾にあたり、石清水八幡宮の「石清水」と「亀の尾」を一つにあわせて「石清尾」になったと言われています。 古来、この周辺は現在の八幡宮近くまで海であり、亀がたくさん這い上がって来ていたことから「亀命山」や「亀阜」など、亀とつく地名が多く見られます。 | |
御祭神 | 御祭神 ・足仲彦命(第14代仲哀天皇) ・誉田別命(第15代応神天皇) ・息長帯姫命(神功皇后) |
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ご利益 | 恋愛成就・縁結び 金運 病気平癒 勝負運 商売繁盛 五穀豊穣 渡航安全 |
お守り・おみくじ | やっている |
御朱印 | やっている |
供養・ お焚き上げ | やっている |
祈願・お祓い | 七五三 厄払い 安産祈願 初宮詣 結婚式 出張祭典(地鎮祭他) |
各種初穂料 (ご祈祷料) | 安産祈願: 6,000円 〜 七五三: 5,000円 〜 厄払い: 6,000円 〜 お祓いの種類 会社団体祈祷(商売繁盛、安全祈願など)・・・予約制 出張祭典(地鎮祭、入居清祓、開店清祓など)・・・予約制 一般祈祷(初宮詣、安産詣、車祓、厄祓、病気平癒、心身健康、家内安全、七五三詣、合格祈願など) |
併設する施設 | ・道祖神社(どうそじんじゃ)(猿田彦命) ・蜂穴神社(はちあなじんじゃ) (大山祇命) ・髪授神祠(はつじゅしんし)(飽昨能宇斯神、北小路采女亮藤原政之公) |
バリアフリー 設備 | 手すり 多機能トイレ |
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