越木岩神社

こしきいわじんじゃ
西宮市甑岩町5-4 阪急甲陽線『甲陽園駅』より徒歩約15分/阪急夙川駅『苦楽園口駅』より徒歩約15分
越木岩神社の店舗画像1 越木岩神社の店舗画像2 越木岩神社の店舗画像3

子授け・安産祈願・泣き相撲の越木岩神社

基本情報

神社御名称
越木岩神社
鎮座地
(住所)
〒662-0092
兵庫県西宮市甑岩町5-4
アクセス
阪急甲陽線『甲陽園駅』より徒歩約15分/阪急夙川駅『苦楽園口駅』より徒歩約15分
駐車場
あり
電話番号
電話番号を表示 0798-31-0009
公式サイト
https://www.koshikiiwa-jinja.jp/

神社詳細情報

【一千年の時を紡ぐ越木岩神社】
兵庫県の越木岩神社は子授け・安産祈願にご利益があると伝えられており、広々とした境内は兵庫県天然記念物にも指定されています。
また創立は古く、一千年前の延喜式神名帳に記載される大国主西神社が当社であると云われています。お近くにお越しの際はぜひお立ち寄り下さい。

【ご神体】
当社のご神体は周囲約40m・高さ10mの大怪石(花崗岩)である一大霊岩です。
酒米を蒸す時に使う「甑(こしき)」という道具に似ていることから「甑岩」と名づけられました。
また、岩上に雑木が生じた姿より、社名・町名も起こりました。

御祭神は市寸島比売命(イチキシマヒメ)で、女性守護・安産・子授けの神さまとして祀られています。俗に辨財天と称せられ、音楽や芸術の才能を伸ばし、弁知(知恵)の神、更には縁結びや、財宝をもたらす金運の美女の代名詞である「幸福の女神」、七福神の一として御神徳の高い神さまであることから、子どもの成長や芸能の上達を祈る神さまとしても信仰を集めています。

摂津名所図絵や摂津志によると 「甑岩神祠は越木岩村にあり祭神巨岩にして倚疊甑(きじょうこしき)の如し、此地の産土神(うぶすながみ)とす」
と記してあるように霊験あらたかな霊岩です。

『安産の神・子授けの神』として昔から崇拝され、今尚
「ご神徳を頂戴できる」
「霊気を感じる」
「パワーを感じる」
「癒される」
と熱心に毎朝毎夕お参りされる方が多くいらっしゃいます。

また、巨岩ご神体の形状から女性自身に例えられ、女性をお守りくださる神として、
「甑岩」にお参りすると【子授かり】【安産】のご利益があると云われております。

【大国主神とは】
延長5年(927年)に纏められた延喜式神明帳に載る摂津国・菟原郡(のちに武庫郡に合併)に鎮座する「大国主西神社」は当社と比定されています。

「大国主大神」は、様々なお名前をお持ちであり、そのご神徳も多岐に渡ると言われています。皆さんも一度はお聞きになられたこともあるでしょうが、例えば「大穴牟遅(おおなむぢ)大神」、「大地主(おおとこぬし)大神」、「大物主(おおものぬし)大神」、「大國魂(おおくにたま)大神」など、地上地下万物の生育発展、人間及び生物の生命を司っている偉大なる神格・神徳をお持ちになられており、その力を表す言葉として多くの神名でお祀りされています。

大国主西神社は、特に大地を司る神・大地主大神(おおとこぬしのおおかみ)として末社「土社」にお祀りされています。石で組まれた大変古いお社であり、大国主西神社の姿を今も残しています。

【創始・地震の神様として】
大国主西神社の創始は、600年~700年頃と推定されます。
それは、大国主大神はそのお力によって、大地を司ることから地震を起こす神様ともいわれていることから説明できます。

推古天皇の時代(599年)、『日本書記』に日本最古の地震として記録される“推古地震”が起こります。地震が発生し建造物が悉く倒壊し、推古天皇は「則ち四方に令して地震の神を祭らしむ」として、飛鳥からみて四方、東西南北に命令して地震の神、つまりオオクニヌシを祀らせます。その中の一社が当社であろうと推定されています。天武天皇の時代(684年)にも、極めて大きな地震があり、この頃には多くの方がお参りされ、延喜式神明帳に載るような神社となっていったのです。

ここに祀られた当初は、オオナムチ神社であった可能性もあるようです。奈良・吉野に大名持神社が鎮座しますが、同様にオオナムチとされ、オオナムチからオオクニヌシとなり、東西南北の東にあたる大名持神社と一対として、“西”にあたるので「大国主西神社」と呼ばれるようになったと考えられています。

オオナムチのオオというのは大きいという意味です。そしてオオナムチのナというのは「つち」という意味の古い言葉です。(細かい土を「スナ」、赤土のことを「ヘナ」といいます。)またオオナムチのムチというのは尊いという意味になります。現在「土社」と呼ばれていることにも通じます。

大名持神社は、吉野渓谷への入口、吉野川右岸の妹山の麓にあります。平安時代はじめに、日本全国の神様に朝廷から位を授けることになったとき、この神の位が正一位を授かった神社です。徳川の時代に神殿が建立されましたが、それまでは完全にご神体は山そのものだったといいます。これは奈良の三輪山をご神体とする大神神社も同じで、神社の社殿が成立する以前の原初の神祀りの様を今に伝えており、信仰の対象はどちらもこんもりと丸く盛り上がった山(このような山の形をカンナビ型などといいます)です。

同様の形状をした山が当社の北北東にある甲山(かぶとやま)です。都より西に向かった時、六甲山系の東山麓に見えた円錐形の甲山はご神体山を思い起こしたはずです。また、当社に鎮座する甑岩から、北へ続く磐座群や北山、そして甲山へと続く地形は聖地として、オオナムチを鎮め祀るため、東西一対をなす相応しい場所であったのです。

【大地を司る神として】
大国主大神の異なる神名の一つ「大地主大神」は、大地を守護する神格・神徳によるものです。建築や土木工事の始まりにあたり、建築に関わる神様、その土地の神様に建築許可を願いお鎮まりいただくと共に感謝の気持ちをお伝えし、工事の無事安全を祈願する地鎮祭では、大地主大神を筆頭とした神々に祈願します。

当社は大国主大神・大地主大神をお祀りする由縁もあり、そのご神徳を授かろうと、多く方々から地鎮祭をはじめ建築に関するお祭りのお申し込みをいただき、広く阪神間にてご奉仕させていただいております。
ご由緒
当社は東六甲山麓唯一の霊場で、天然記念物の森におおわれた霊験あらたかな神社です。
甑岩を霊岩とする信仰は磐境(いわさか)・磐座(いわくら)祭祀と呼ばれ、当社が鎮座する地域一帯の磐座群の象徴として祀られており、古くから特に女性守護、子授・安産の神さまとして信仰されています。

神社の創始は、600年~700年頃と推定されるぐらい由緒深く、延長5年(927年)に纏められた延喜式神明帳に載る摂津国・菟原郡(のちに武庫郡に合併)に鎮座する「大国主西神社」は当社と比定されています。正保年間(西暦1644年頃)に社殿が再建され、明暦二年(西暦1656年)の八月十六日に円満寺の教順僧侶が「福神」の総本社西宮神社より蛭子大神を勧請し、蛭子太神宮と称しました。以後、数回社殿は修復されましたが、現在の見事な片削破風羽流造のご本殿は昭和十一年に、また、拝殿は昭和五十八年に御造営となったものであります。

歌謡に『杜のふもとに甑を立てて、招く湯の里ヨホホイ越木岩』とうたわれて、越木岩・苦楽園・夙川・鷲林寺・柏堂という関西の高級住宅地の産土神(うぶすながみ)としてあがめられていいます。
御祭神
・蛭子太神宮
それまでの磐座(いわくら)祭祀の頃を経て正保年間(1644年頃)に社殿が再建され、明暦2年(1656年)8月16日、円満寺の教順僧侶が「福神」の総本社西宮神社より蛭子大神(ひるこおおかみ)を勧請し、蛭子太神宮と称しました。

蛭子大神とは“えべっさん”の事です。
ご利益
子授安産 健康長寿 商売繁盛 芸能上達
崇敬会
【甑岩崇敬会】
甑岩崇敬会とは、甑岩をご神体とする越木岩神社を心のふるさとと仰ぐ崇敬者の集いです。
日本文化の伝統を守り、一家の幸福と繁栄を願い、よりよい社会づくりの活動を通して越木岩神社を支えていこうとする崇敬者の集いにより昭和55年に設立されました。
会員相互の親睦をはかりご神縁を広めてきた会員数は、現在三千数百名を数えます。

一層の深いご神縁を結んでいただく為、是非この機会にご入会頂きより身近に甑岩・越木岩神社を感じていただけるよう篤いご崇敬を望んでおりますと共に、皆様に大神様のご加護が賜れますようお祈り申し上げます。

『このような方がよくご入会されております』
・甑岩大神様のご加護を賜りたい
・神社にお参りするがお祭りの日時を知りたい
・越木岩神社・甑岩のことをもっと詳しく知りたい
お守り・おみくじ
やっている
御朱印
やっている
供養・
お焚き上げ
やっていない
祈願・お祓い
七五三 成人式 安産祈願 初宮詣 年祝い・長寿祝い 出張祭典(地鎮祭他)
各種初穂料
(ご祈祷料)
七五三: 7,000円 〜
文化財・
宝物など
重要有形民俗文化財 『おかげ踊り図絵馬』 天保2年(1831年)
続きを表示