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三皇熊野神社
さんこうくまのじんじゃ
秋田市牛島東2-2-36 奥羽本線 羽後牛島駅より徒歩10分(本宮・里宮ともに)
本宮と里宮があり『日・月・星』の三つの光をお祀りする神社。古来より御祈祷を受けられると運命光輝くと言われております。
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基本情報
神社御名称 | 三皇熊野神社 |
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鎮座地 (住所) | 〒010-0062 秋田県秋田市牛島東2-2-36 |
アクセス | 奥羽本線 羽後牛島駅より徒歩10分(本宮・里宮ともに) |
駐車場 | あり |
電話番号 | 電話で予約問合わせ 018-832-6303 ※お問合わせの際はMy神社を見たとお伝えになるとスムーズです。 |
公式サイト | http://www.sankousan.sakura.ne.jp/index.html |
受付時間 | 09:00 〜 17:00 |
定休日 | 年中無休 (祭典などにより御祈祷を受けられない日もございます) |
感染症対策 | ※感染症予防の為、昇殿できる人数を制限しております。ご祈祷希望の方はご予約をお願い致します。 ※玄関、授与所等各所に消毒液を設置いたしましたのでご利用ください。 ※神社職員がマスクを着用して対応させていただく場合がありますのでご了承下さい。 (これらの対応につきましては状況に応じ変わることがあります。随時お知らせいたします) |
神社詳細情報
『六郡郡邑記』(享保15年-1730)には、当社は「三光宮」とあり、また菅江真澄の『遊覧記、勝地臨毫』(文化12年-1815)にも、「竹原三光宮トテ日月星ヲ斎クニヤ云々」と記されており、古くより三光大神としての三つの光『日・月・星』をお祀りする神社と言われております。ご神紋の三つの輪は、三光大神としての三つの光を現し、古来より神前に額づき、御祈祷を受けられると運命光輝くと言われております。 当社には、秋田藩主・佐竹氏の五本骨扇に月丸紋が付された文久年間(1861~1846)獅子頭≪猿田彦大神として奉斎≫が伝わっており、久保田城より南西の裏鬼門の方角にあたる牛島は羽州街道の交通の要でもありました。古くより鬼門・方位除け、災難除けの神社として篤い崇敬を集めており、現在は特に厄除開運、八方除の神社として崇敬されています。 また、御祭神の妹背(夫婦)二柱の大神の恩頼(みたまのふゆ)により、『むすび』の神として、縁結び・子授け安産等私たちの人生に結びついた御神徳を授かると言われています。 | |
ご由緒 ◇本宮(旧三皇神社)秋田市牛島西3-10-11◇創立年月日不詳。再建は桓武天皇の延暦年間(804年頃)征夷大将軍坂上田村麻呂が竹原三光の神に祈誓して高清水の丘に向かって矢を放ったと言われており、夷賊を討った奉賽として社殿を再建したと言われています。 境内には田村麻呂将軍の杖に根がついたと言うブナの大木があり、戦前までは地上八尺位の所からこんこんと水が流れ、『霊水の大木』といわれ、霊水は眼病に効くと言われていました。平成27年に「霊水の井戸」を復元しました。 現在の社殿は平成16年に旧社殿(明治33年築)を改築、客殿を新築したもので、境内社として三皇稲荷神社をお祀りしています。 ◇里宮(旧熊野神社)秋田市牛島東2-2-36◇(社務所) 明治時代の『羽陰温古誌』によると、弘化3年(1846)に社殿が焼失しており、詳しい記録はない。もともと三皇神社の合殿であったが、慶長5年(1600)に現在地へ遷座。天明年間(1781~88)に「咩呂理(めろり)観音」が安置され、伝応山熊野大権現と称し、「お堂」と呼ばれ、牛島村の中心であった下丁の産土様として崇敬を集めてきました。 明治3年の神仏分離により観音菩薩像は宝袋院へ遷され、明治44年に旧三皇神社と合祀、三皇熊野神社と改称。昭和55年に改築し、現在も「お堂」と呼ばれた当時と同じ本殿がない幣殿拝殿が一体の社殿となっています。 | |
御祭神 | 主神・天照皇大神 ・伊邪那岐大神 ・伊邪那美大神 ・須佐之男命 配神・稲荷大神 ・八幡大神 |
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ご利益 | 子授安産 健康長寿 交通安全 勝負運 商売繁盛 渡航安全 諸願成就 |
お守り・おみくじ | やっている |
御朱印 | やっている |
供養・ お焚き上げ | やっている |
祈願・お祓い | 七五三 成人式 厄払い 安産祈願 初宮詣 お宮参り 結婚式 年祝い・長寿祝い 出張祭典(地鎮祭他) 神葬祭 その他 |
各種初穂料 (ご祈祷料) | |
文化財・ 宝物など | 本宮の手水鉢・・文久2年(1862)に下(シモ)の若者により奉納 里宮の獅子頭・・文久年間(1861~1864)秋田藩主・佐竹氏の五本骨扇に月丸紋が付された獅子頭 |
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