公式

蛇窪神社

へびくぼじんじゃ
品川区二葉四丁目四番十二号 都営浅草線「中延」駅徒歩5分/東急大井町線「中延」駅徒歩6分/JR横須賀線「西大井」駅徒歩8分
蛇窪神社の店舗画像1 蛇窪神社の店舗画像2 蛇窪神社の店舗画像3

除災招福総鎮護 東京の白蛇様 蛇窪神社

基本情報

神社御名称
蛇窪神社
鎮座地
(住所)
〒142-0043
東京都品川区二葉四丁目四番十二号
アクセス
都営浅草線「中延」駅徒歩5分/東急大井町線「中延」駅徒歩6分/JR横須賀線「西大井」駅徒歩8分
駐車場
なし
電話番号
電話で予約問合わせ 03-3782-1711
※お問合わせの際はMy神社を見たとお伝えになるとスムーズです。
公式サイト
https://hebikubo.jp/
開門時間
09:00〜17:00 (午前9時~午後5時半(巳の日・己巳の日))
受付時間
09:0016:30

神社詳細情報

・白蛇縁起
鎌倉時代、天祖神社の社殿の左横(現在の消防団詰所付近)に清水が湧き出る洗い場があり、そこに白蛇が住んでいました。
時移り、いつのまにか洗い場がなくなり、やむなく白蛇は現在の戸越公園の池に移り住むようになりました。 あるとき、土地の旧家森谷友吉氏の夢枕に白蛇が現れ「一日も早くもとの住みかに帰してほしい」と懇願しました。
森谷氏はこの話を宮司に伝えて、白蛇をもとにもどすよう願い出ました。宮司は弁天社【琵琶を奏でる姿から音楽や芸術の才能を伸ばし、弁知(知恵)の神、安芸の宮島厳島神社の御分霊である弁財天を祀る】を建立することに決め、現在の駐車場に池を掘り、池の中央に小島を設け、その中の石窟に石祠を造って白蛇を祠ることにしました。古老の話によれば白蛇を迎える日の夜、いよいよお迎えの祝詞を奉上しようとしたとき、それまでの輝くばかりの星空が一天にわかにかき曇り、雷鳴とともに大風が立ち起こり、そのさまは身のすくむ思いだったということです。

・稲荷社のいわれ
お稲荷さまは、京都伏見稲荷大社の御分霊をお祀り申し上げています。 元享2年(1322年)に武蔵の国を救った雨乞いの断食祈願に基づいてお祀りされ、明治12年の神社明細帳にその名が見られる事から、相当古くから祀られていることは確かです。
御神徳は、衣食住を司り、私たちの家業繁栄、家内安全を昼夜の別なく御守護下さっています。
現在の神殿、上屋、燈籠などは、櫻井昌利氏をはじめ氏子篤氏家の寄進によるものです。

・大鳥居縁起
『旧檜の大鳥居』
大正初期、土地の有志が発起人となり、建立されました。
昭和二十年の空襲で、本殿や境内建造物、樹木等が丸焼けになりましたが、大鳥居のみが戦禍を免れ、その不思議な神の御加護により、氏子全体をご照覧くださいました。
昭和四十九年、氏子篤志氏家の熱意により、銅で修復され、歴史とともに約百年、平成三十年八月に安全性を考慮して、惜しまれつつ解体されました。

『新檜の大鳥居』
蛇窪神社鎮座七百年記念事業(奉賛募金期間平成三十年十二月二十日~令和三年十二月二十日)の一環として、地域発展のシンボルとなる大鳥居が、令和元年十二月二十六日、氏子・崇敬者各位の御奉賛により建立されました。

・社号標
紀元2600年(昭和15年)奉祝と、当社が村社に昇格したのを記念して建てられたものです。奉祝式典が行われた時、全国の神社で神楽舞「浦安舞」が一斉に奉奏され、現在も続けられています。題字は、当時の東京府知事岡田周造氏の謹書によります。裏面には社号標建立に奉賛した氏子総代各位の御芳名が刻まれています。
文字は先代宮司齊藤信臣の書によります。

・御大典記念の碑(ごたいてんきねんのひ)
明治45年(西暦1912)年七月三十日 大正天皇が即位(天皇の位につく)されたのを記念して建てられた碑です。裏の碑文は明治24年品川用水(かんがい)水利権に関し訴訟問題が起こり用水利用者金子仲次郎氏外20名が荏原郡長に訴願したが認められず、更に明治28年東京府知事に上告し認められる迄の過程を記録したものです。
誠なる心を以ちてむかへなば光輝く後の世までも

・土搗(づつき)石のいわれ
この土搗石は、江戸時代より武蔵国荏原郡上蛇窪村に伝わる石で村内で住居、納屋などの普請がある度に村人が交替で手伝い歌を歌いながら敷地を固めた石 で(別名オカメサン)大正7年頃まで使用したものです。 平澤忠義氏より譲り受け社宝として後世に伝える ものです。

・庚申橋(こうしんばし)
庚申橋は、大正末期頃まで渡る事が出来た立会川の橋げたです。現在の品川区立原っぱ公園信号機のあたりに橋があったようです。きれいな水が流れ、魚が沢山泳いでおり、子供達が水あびに、魚取りにと賑わっていたようです。

・石燈籠(いしどうろう)
大鳥居前の石燈籠は、昭和59年9月16日豊町五丁目在住で氏子総代の久保虎次郎・スエ御夫妻の御寄進によるものです。

・蛇窪大明神について
当神社の旧社名は、神明社です。天(あま)照(てらす)大御神(おおみかみ)・天児(あめのこ)屋根(やねの)命(みこと)・応(おう)神(じん)天皇(てんのう)の御三柱をお祀りする以前は、蛇窪龍神社でした。創建の史実にある雨乞い祈願を白蛇が住んでいた(現在の消防団詰所)龍神社で行う際に、お稲荷さんもお祀り致しました。この祈願を基に構成されて建立された神社であり、御本殿に祀られる御三柱の他、稲荷社、弁天社に祀られる全ての神さまを総称して、“蛇窪大明神”と奉称致します。

蛇(へび)窪(くぼ)の「くぼっち」登場!
蛇の街にご当地キャラクター「くぼっち」が誕生いたしました。鎌倉時代に蛇窪に生息していた蛇の主。自称公家。ブサイクで気位が高く、お祓いの棒「カシコメ」を持っている。ふてくされているように見えるが、お願いすれば頭を「カシコメ」でお祓いしてもらえます。「くぼっち」はお祭りや、地元のイベントなどに呼ばれれば喜んで出現致します。
ご由緒
文永8年(鎌倉時代・1272年)11月10日、北条四朗左近大夫陸奥守重時は、五男の時千代に多数の家臣を与え蛇窪(現在の品川区二葉四丁目付近)に残って当地域を開くよう諭して、自らはこの地を去りました。
その後、時千代は、法圓上人(ほうえんしょうにん)と称して大森(大田区)に厳正寺(ごんしょうじ)を開山し、家臣の多くは蛇窪付近に居住させました。現在、厳正寺の壇徒がこの地域に多いのは、こうした理由によるものです。
文永8年の秋から50年ほどを経た元享2年(1322年)、武蔵の国(現在の東京・埼玉)一帯が大旱魃となり、飢饉の到来は必至と見られました。このとき、厳正寺の当主、法圓の甥の第二世法密上人は、この危機を救うため、厳正寺の戌亥(北西)の方向にあたる森林の古池のほとりにある龍神社に雨乞いの断食祈願をしました。上人の赤誠(偽りや飾りのない心。まごころ。)と神霊の冥助により、大雨が沛然と降り注ぎ、ついに大危機を免れることができました。
これに感激した時千代の旧家臣たちは、蛇窪に神社を勧請し、神恩にこたえて祀りました。これが現在の蛇窪神社の縁起とされています。(荏原区史)
なお 一説には、鎌倉時代に、この地の豪農、森屋氏(現姓森谷氏等の先祖)が建立したものとも伝えられています。
当社の旧社名は神明社でしたが、その後村社に昇格して「天祖神社」に改名されました。
令和元年5月1日より、御大典を記念し、また、地域の発展を祈念して、神社名の問い合わせの多い別称「蛇窪神社」を通称表記に格上げすることになりました。
御祭神
主神 天照大御神(あまてらすおおみかみ)

天児屋根命(あめのこやねのみこと)
応神天皇(おおじんてんのう)

市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)
田心姫神(たごりひめのかみ)
湍津姫神(たぎつひめのかみ)
蛇窪龍神
白蛇大神
伏見稲荷社
稲荷大神
ご利益
厄払い 病気平癒 勝負運 商売繁盛 五穀豊穣 渡航安全
お守り・おみくじ
やっている
御朱印
やっている
供養・
お焚き上げ
やっている
祈願・お祓い
七五三 厄払い 安産祈願 結婚式 出張祭典(地鎮祭他)
各種初穂料
(ご祈祷料)
七五三: 5,000円 〜
・各種御祈願
初穂料 個人 5,000円よりお気持ちをお納めください。
法人・団体 10,000円〜

結婚奉告祭 初穂料 10,000円〜
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