公式

乃木神社

のぎじんじゃ
港区赤坂8丁目11-27 千代田線 乃木坂駅 1番出口より徒歩1分
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緑に囲まれた、開放的な乃木神社

基本情報

神社御名称
乃木神社
鎮座地
(住所)
〒107-0052
東京都港区赤坂8丁目11-27
アクセス
千代田線 乃木坂駅 1番出口より徒歩1分
駐車場
なし
電話番号
電話で予約問合わせ 03-3478-3001
※お問合わせの際はMy神社を見たとお伝えになるとスムーズです。
公式サイト
https://www.nogijinja.or.jp/
開門時間
06:00〜17:00 (授与所、宝物殿:9時~17時)
受付時間
09:3016:30
感染症対策
・神道では、お祭りの前に必ず「手水」をとり、手と口を清めます。
古くから日本人はこのように、手を清め口を清め、場を整え、衣服をあらためて神事を行ってきました。今回の新型コロナウイルスの感染症対策のひとつとしてもこの「手洗い」はとても重要とされています。
神事とわたしたちのくらしは、それほど解離したものではなく、清らかで清々しい毎日を送ることを目指しています。この清浄であることをもう少し掘り下げ、いま求められている「新しい生活様式」に添うかたちで、乃木神社にお越しになる皆さんと職員の安全のため、感染拡大防止対策を強化して参ります。

「衛生管理について」
・職員の体温測定を毎日実施しています。発熱があった際は、出社を停止し政府の定めるガイドラインに沿って対応いたします。
・参拝の皆様の安全及び公衆衛生を考慮し、職員は神事中の一部を除きマスクを常時着用しています。
・不特定多数の方が触れる可能性のある箇所(ドアノブ、手すり、おみくじなど)は、アルコール消毒を定期的におこなっています。

「御祈願について」
・御祈願は一組ずつ奉仕し、儀式殿は常時窓を開けたままに致します。
・御祈願のお時間まで境内の換気の良い場所でお待ちいただきます。

神社詳細情報

・ご神徳
ご祭神である乃木将軍のご神徳は、「忠誠」という語に表されます。ご祭神の、自らに対し、そして父母、国に対して誠を貫かれたという御事績は、我々日本人が大切にしてきた精神を表しています。
また、ご祭神は文武両道の神でもあります。
武においては軍人として数々の武勲や御事績が示しているように、また文においては学習院長に任ぜられ、昭和天皇の御養育にあたられるなどの教育者としての御事績や、作られた数多くの詩歌、漢詩や書画をみても明らかなように教行両全の学問の神でもあります。
妻として殉じられた静子夫人も、ともに明治天皇に殉じられるまでの30年ほどのあいだ、常に忠孝・質素・仁愛の志あつく、内助の功を尽くされました。その淑徳清操のご生涯もまた世の尊崇を集め、共に夫婦和合の神として祀られています。

『少年時のきびしい教育』
乃木希典、幼名・無人は、江戸時代末期の嘉永2年(1849年)11月11日に長府藩に三男として生まれます。生まれつき体があまり丈夫ではなく、泣き虫な少年でした。
無人(なきと)という名前は、上の兄2人がすでに若くして亡くなっていたため、強く健康に成長してほしいという願いが込められていました。

妹のキネが風邪で寝ている時枕元にそっとお土産を買ってくるような優しさを持った少年でしたが、父母は体の強い立派な武士に育てようとあえて厳しく無人を鍛えていきました。
無人は父母の厳しい愛の中で成長していきます。

『学問との出会い』
15歳で元服し、学問への道を志していた源三(元服した時の名)は、武士になって欲しいという父と意見が合わず、悩みぬいた末に、吉田松陰の叔父にあたる松下村塾の創始者・玉木文之進の下へ出奔しました。
玉木家は乃木家から別れた家柄であり、両家の関係は深いものでしたが、玉木先生は父の許しを得ずに訪れたことを責め、長府から萩まで70km以上の道のりを歩いてきた源三を追い返そうとします。
この時、玉木先生の辰子夫人が引き止めてくれたので何とか玉木家でお世話になることが出来たのです。
しかし、はじめは玉木先生から学問の教えを受けることは出来ず、昼は農作業で汗を流し、夜は辰子夫人に教えを受けるという日々が続きました。根が真面目な性格な源三は1年が過ぎる頃には、ひ弱だった身体が別人のようにたくましく成長し、玉木先生も少しずつ学問を教えてくれるようになりました。
ご由緒
明治四十五年(一九一二)七月三十日に明治天皇が崩御せられて、御大葬の日と決まった大正元年九月十三日。御霊轜(棺を乗せた車)が宮城を出発する号砲が打たれた午後八時過ぎに、ご祭神と静子夫人は先帝に殉じて自刃を遂げられました。御夫妻の忠誠心に感激した国民はこぞって乃木邸を訪れ、その数は日を追って増していきました。ご祭神の葬儀と同時に幽霊坂と呼ばれていた坂の名前が“乃木坂”と改められることとなりました。時の東京市市長・阪谷芳郎男爵は先頭に立って広く同志を集め、中央乃木会を組織し、乃木邸内の小社に御夫妻の御霊をお祀りしました。また、毎年九月十三日にはその御前に祭儀を斎行するとともに青少年への研修会を開催するなど、御夫妻の精神を永世に伝えようという活動が活発に続けられていきました。大正八年(一九一九)には乃木神社創立の許可が下り、明治神宮創建の後に御造営の事業がおこされ、大正十二年(一九二三)十一月一日に鎮座祭が斎行されました。昭和二十年(一九四五)五月二十五日、未明の空襲により本殿以下社殿をことごとく消失しましたが、戦後全国の崇敬者の熱意により、昭和三十七年(一九六二)九月十三日、ご祭神五十年祭に併せて本殿・幣殿・拝殿が復興されました。
御祭神
・乃木希典将命
・乃木静子命
創建
大正八年
ご利益
子授安産 恋愛成就・縁結び 金運 病気平癒 商売繁盛 五穀豊穣 学業成就
崇敬会
「中央乃木会のご案内」
先人達は、乃木将軍ご夫妻を一様に「至誠の人」と語っております。
それはまさに嘘偽り無く、ご自分に正直に生きられた姿を現したものであります。明治陛下に、日本という国に、一貫して誠心を尽くされたご生涯でありましたが、現代に生きる我々ひとりひとりがこの誠心を持つことはこの国の繁栄に相通じるものと言えます。
中央乃木会はこの乃木将軍ご夫妻のご高徳を慕う方々の集う乃木神社の崇敬会です。
乃木将軍ご夫妻の御神徳はもとより神として祀り、後の世永く語り継ごうとした先人達の深い思いを受け継ぎ、そこに宿る「日本の心」を皆樣と共に今の世に問い続けて行きたいと考えております。
ボーイスカウト
ガールスカウト
日英同盟締結以後、英国から情報が多くもたらされるようになった日本に、発祥したばかりのボーイスカウト運動が紹介されたのは明治41(1908)年のことです。
乃木将軍は、同40年1月31日から殉死される大正元(1912)年9月13日まで学習院長(第10代)を務め、「質実剛健」をモットーとした青少年教育に打ち込まれましたが、いち早くボーイスカウト運動の情報を得て関心を持たれ、明治43(1910)年、英国王ジョージ5世の戴冠式に明治天皇の名代として参列される東伏見宮依仁親王・同妃両殿下に東郷大将等と共に随行し、キッチナー元帥の紹介でロンドンのボーイスカウトの集会を視察されました。

帰国した乃木将軍は、学生・教員を前にボーイスカウト訓練について感激を以て講演し、その年の夏の神奈川県・片瀬遊泳では、ボーイスカウト式のキャンプを行っています。
この御遺志を継ぎ、当神社では昭和38年にボーイスカウトの団を創設、赤坂・青山地域において青少年の育成に努めてまいりましたが、平成13年4月に設立された東京連盟港第18団へ合同して発展的に解消し、より地域性を深めた港第18団の育成会員の一員として現在に至っております。
港18団の事務所は、発団以来、当神社社務所内に設置されており、財団法人ボーイスカウト日本連盟の研修を修了した指導者が常勤していますので、お気軽にお問合せください。
お守り・おみくじ
やっている
御朱印
やっている
供養・
お焚き上げ
やっている
祈願・お祓い
七五三 成人式 厄払い 安産祈願 初宮詣 結婚式 年祝い・長寿祝い
各種初穂料
(ご祈祷料)
安産祈願: 7,000円 〜
七五三: 10,000円 〜
成人式: 10,000円 〜
厄払い: 7,000円 〜
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