公式

平河天満宮

ひらかわてんまんぐう
千代田区平河町1-7-5 【地下鉄半蔵門線「半蔵門」駅下車 一番出口 徒歩1分】【地下鉄有楽町線「麹町」駅下車 一番出口 徒歩3分】【JR中央 総武線「四ツ谷」駅下車 麹町口 徒歩10分】
平河天満宮の店舗画像1 平河天満宮の店舗画像2 平河天満宮の店舗画像3

縁結びの梅 平河天神 【平河天満宮】

基本情報

神社御名称
平河天満宮
鎮座地
(住所)
〒102-0093
東京都千代田区平河町1-7-5
アクセス
【地下鉄半蔵門線「半蔵門」駅下車 一番出口 徒歩1分】【地下鉄有楽町線「麹町」駅下車 一番出口 徒歩3分】【JR中央 総武線「四ツ谷」駅下車 麹町口 徒歩10分】
駐車場
なし
電話番号
電話で予約問合わせ 03-3264-3365
※お問合わせの際はMy神社を見たとお伝えになるとスムーズです。
公式サイト
http://hirakawatenjin.or.jp/index.html
開門時間
10:00〜17:00
受付時間
10:0016:00
感染症対策
新型コロナウィルス感染拡大予防対策のため、手水の柄杓を撤去しております。直接お清めいただくか、そのまま御参拝ください

神社詳細情報

境内案内
・銅鳥居
この銅鳥居は、高さ五メートルにおよぶ鳥居です。支柱にある銘文によれば、天保十五年(1844)十二月に、麹町周辺の人々によって建設・奉納されたものと思われます。千代田区内には現在沢山の特徴的な鳥居が建てられていますが、この銅鳥居が、区内最古の鳥居です。
同様に銘文からは、この鳥居が御鋳物師・西村和泉藤原政時の作品であることもわかります。「西村和泉」というのは、「文政武鑑」に「御鋳物師 西村和泉 並御錺師 かんたかち丁一丁メ」とあるように、元禄から明治期まで十二代にわたって神田鍛冶町に居住した鋳物師の一家系を示します。彼らは江戸とその周辺に梵鐘、灯籠、水鉢等々多くの作品を残しました。彼ら十二人の当主のうち多くは「西村和泉藤原政時」を名乗りましたが、平河天満宮銅鳥居の作者は、嘉永元年(1847)に没した八代目であると思われます。
なお新宿区市谷八幡町には、「平河天満宮銅鳥居」によく似た「市谷亀ヶ岡八幡宮の銅鳥居」(新宿区指定文化財)があります。これは「西村和泉」家五代目当主・西村和泉藤原政平によって作られた作品です。ただし平河天満宮の銅鳥居には、左右の台座部分に四体づつ獅子の彫刻がのせてあるなど、良く見ると少しずつ違いが見つかってきます。
平河天満宮の銅鳥居は、麹町周辺の町地に住む人々の平河天満宮への信仰の様子を物語ると同時に、江戸時代の鳥居の姿を私たちに教え、その特徴的な意匠で私たちを楽しませてくれます。
ご由緒
江戸平河城城主太田道灌公が、ある日菅原道真公の夢を見ました。そして、その翌朝菅原道真公自筆の画像を贈られたこともあり、その夢を霊夢であると思い、文明十年(一四七八年)に城内の北へ自ら施主となり、天満宮を建立しました。(「梅花無尽蔵」による)
その後も周囲に多くの梅の木を植え、やがてここを梅林坂と呼ぶようになり、今も皇居平川門内にその名が残っています。

徳川家康公の江戸平河城入城後間もなく、築城のため本社を平川門外に奉遷しましたが、慶長十二年(一六○七年)二代将軍秀忠公に依り、貝塚(現在地)に奉遷されて、地名を本社にちなみ平河町と名付けられました。
徳川幕府を始め紀州、尾張両徳川家、井伊家等の祈願所となり、新年の賀礼には、宮司は将軍に単独で拝謁できる格式の待遇を受けていました。
また学問に心を寄せる人々は、古来より深く信仰し、名高い盲目の学者塙保己一や蘭学者高野長英等の逸話は、今日にも伝えられています。
現在も学問特に医学や芸能、商売繁盛等の祈願者が多くあります。
御祭神
・大鳥神社(おとりさん)
 御祭神 日本武尊命(やまとたけるのみこと)
・塩神社(生活の神)
 御祭神 豊斟渟神(とよくむぬのかみ)
・浅間神社(せんげんさん)
 御祭神 木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
創建
文明十年(一四七八年)に城内の北へ自ら施主となり、天満宮を建立しました。
ご利益
子授安産 恋愛成就・縁結び
お守り・おみくじ
やっている
御朱印
やっている
供養・
お焚き上げ
やっていない
祈願・お祓い
その他
各種初穂料
(ご祈祷料)
続きを表示